『ママン』ルイーズ・ブルジョア グッゲンハイム美術館(ビルバオ)卵を抱えた巨大クモはお母さん

Maman de Louise Bourgeois Didier Descouens, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons

バスク州、ビルバオのグッゲンハイム美術館の人気作品のひとつ、巨大クモ『ママン』。
ママンとはフランス語で”ママ”(お母さん)。

タイトルに込められた作者の思いとは・・・

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巨大なクモ 『ママン』

ENRIC SAGARRA Pixabay

ルイーズ・ブルジョア 生い立ち

作者のルイーズ・ブルジョアは、パリ郊外のタペストリーの修復工房を営む両親のもとに、1911年12月25日に生まれました。

当時のヨーロッパ、まだまだ女性には厳しい時代、街には娼婦がたくさんいた時代です。安定した生活とひきかえに、自由を奪われ、跡継ぎの男子を生んで、家でおとなしくしていなければならない、そんな時代でもありました。

もちろん幸せな女性たちもいたはずですが、ルイーズ・ブルジョアの生まれ育った家庭は、典型的な男性中心の家庭でした。彼女が生まれた時も、男子誕生を期待していた父親からは祝福されることもありませんでした。

彼女の父親は、幼い子供たちにさえも 権力を振りかざすような 自己顕示欲のかたまりで、その上、浮気性な人だったようです。
彼女が子供の頃、養育係として、年若い女性がやってきました。その女性は、養育係という名目でしたが、実は父親の愛人でした。すごく勘のいい繊細な子供だった彼女には、全ての事情がわかっていました。

父親の横暴、母親への仕打ち、自分への対応、また、父親への怒りや不満だけではなく、その全てを受け入れる母親に、また養育係として現れた愛人、彼女を取り巻くすべての環境が、その後の彼女の成長において大きな影を落としました。

両親のタペストリーの修復工房では、母親が実際の仕事をとりしきり、タペストリーを織り、ルイーズ・ブルジョアはそこで、修復の際に必要な下絵を描いたりして、美術の世界に目覚めます。

ただ、父親は、商売につながらない美術というものには全く理解がなく、彼女はパリ大学で数学を専攻することになります。

一回目の人生の大きな転機となったのが、彼女の母親の死で、21歳の頃 数学の世界から、本来の希望であった芸術の世界へと移っていきます。ここで父親からの援助はなくなり、自分の力で美術の勉強をはじめました。

ヨーロッパの美術の世界では、例えば、ピカソやダリやミロの時代、そういった芸術家たちの影響をうけ、新しいテクニックを学びました。

その頃、のちに結婚することになるアメリカ人の男性と知りあい、アメリカに移住していきました。

ただ、芸術家としてルイーズ・ブルジョアが大きく認められるようになるには、まだまだ時間がかかり、彼女が国際的に認められるようになるのは、1990年代、80歳を過ぎた頃からです。

クモが象徴する2つの物

ルイーズ・ブルジョアの代表作であり、彼女の永遠のテーマとなっていく、クモ。
1947年からクモの絵をたびたび描いています。

彫刻家として成功していくなかで、彼女がクモで表現していたものは、過去の記憶なのですが、ひとつは、幼少期の父親からの彼女を取り巻く環境からの精神的虐待、そしてもうひとつが、母性、母親であるクモの姿でした。

Lisa Redfern Pixabay

クモは私の母のようです。私の一番の親友です。母は、クモのように、機織りをしていました。私の家族は、タペストリー(壁を飾る絨毯のようなもの)の修復工房の商売をしていました。母は、そこの一切を任されていたのです。
母は、クモのようにとても賢い人でした。クモは虫を食べてくれます。例えば、蚊は、病気を運んで来る害虫です。すると、クモは私の母のように、先手を打って身を守り助けてくれるのです。

ルイーズ・ブルジョア

≪母性≫としてのクモ

この作品、高さ10Mほどもあります。まずその大きさに驚きます。クモと言うだけで、すでに気持ちが悪い物という印象を持つ方も多いと思いますが、近づくと本当にグロテスクな作品です。

作品のタイトルが、「ママン」(お母さん)と聞くと、どうしてこの気持ちの悪いクモが・・・と思いますが、ルイーズ・ブルジョアにとって母親は、その見た目ではなく、父親の女性関係に目をつぶり、言われるがまま、怒ることもできず、逆に経済的にも精神的にも頼って行くしか生きていけない、ゆがんだ、はかない世界を生きた女性の姿で、ある意味グロテスクな存在だったのかもしれません。

そして、同時に、そんな状況の中にあって自分たちを守ってくれた母、クモが巣をはって敵から身を守り、なおかつ食料を捕獲する姿、それが、機織りをして、子供たちを守ってくれた、か弱くそして、したたかな母親の姿だったのだと思います。

見た目のグロテスクさに慣れてくると、今度は、そのか細い足で、全ての体重を支えているところに注目します。さっきまで不気味だった、そのか細い足の下に行くと、なんだか、守られているような気がします。そして、上を見上げると、おなかに大理石で作ったたまごを抱えているのが見えています。

Fernando Villadangos Pixabay

そして、もう一度全体像を見ると、そこには、グロテスクで、はかない、子供を守る母親がいるのです。

巨大クモは、世界に7体

≪ママン≫は、1990年代の終り頃、ルイーズ・ブルジョアが80歳を過ぎて手掛けた作品です。

第一作目は、1999年、ロンドンのテームズ河畔の近現代美術館テートモダンに設置されました。

Peter Barr / Spider ! Tate Modern ≪MAMAN ORIGINAL≫

その後コピーが作られ、現在全部で7体あるそうで、そのうちのひとつが、グッゲンハイム美術館ビルバオのママンです。

日本の森美術館(六本木ヒルズ)にもあります。

ルイーズ・ブルジョアは晩年、LGBT(同性愛、両性愛、トランスジェンダー)支援活動のために自らの作品を提供しています。

誰もが愛する人と結婚する権利があります。誰かを一生愛しますという誓いを立てることは、素晴らしいことです。

ルイーズ・ブルジョア

国際的に認められたのが80歳を過ぎてからでしたが、ルイーズ・ブルジョアはとても長寿で、亡くなったのは、2010年、98歳の時でした。

現在でも世界中の有名美術館が、特に手に入れたい作品のひとつなのがルイーズ・ブルジョアの作品です。

2011年に行われた競売では、彼女の作品は、女性彫刻家の中での記録更新、最高値で落札されました。

” クモ女 “ と呼ばれるほどでしたが、クモのように、芸術的創作の世界と、実際の彼女のトラウマとが縦と横の糸となって生み出された、彼女の人生の記録です。

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