フラ・アンジェリコ『受胎告知』天使のような修道士が描いた超自然的な世界

ルネサンス美術初期のイタリアで、天使のような修道士が描いた聖書の世界、600年もの長い年月を越えて、今もその鮮やかな色彩と、細やかな表現に息をのむ作品です。

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フラ・アンジェリコ

本名はグイード・ディ・ピエトロ

フラ・アンジェリコは、1395年頃イタリアのフィレンツェの郊外ムジェッロで生まれました。

本名はグイード・ディ・ピエトロ (Guido di Pietro) で、フラ・アンジェリコは「修道士アンジェリコ」という意味で、アンジェリコは、”天使のような” という意味で、画家が亡くなった14年後にこのニックネームでよばれるようになりました。

フラ・アンジェリコ→ベアト・アンジェリコ

現在は、ベアト・アンジェリコ(福者アンジェリコ)と表記されることもあります。
福者とは、死後その徳と聖性を認められた信者に与えられる称号で、1982年ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がフラ・アンジェリコを列福し、1984年にキリスト教芸術家の守護者として認定しました。

初めは、装飾写本を描いていた

いつ、フィレンツェに移り住んだかは不明ですか、初めは、教会の写本の工房で、装飾写本の仕事をしていました。この当時、まだ印刷技術がなかった時代(グーテンベルクの活版印刷の発明は1445年頃)、本は手書きで写本をしていましたが、多くの本には、装飾の絵も描かれました。特に聖書は、内容を少しでも多くの人に伝えるために、装飾の挿絵を施すのが一般的でした。

挿絵装飾写本の例 (1407年)

1423年には、ドメニコ会修道士として、サント・ドミンゴ・エン・フィエゾレ修道院でフィエゾレのジョバンニ修道士(Fra Giovanni da Fiesole)と呼ばれるようになり、この頃、装飾写本だけではなく、その技術を生かし、祭壇画を何枚かドメニコ会のために描きました。

サント・ドミンゴ・エン・フィエゾレ修道院 祭壇画(1422年頃)

そのうちの一枚が現在プラド美術館にある『受胎告知』(1426年)です。

その後、当時フィレンツェの権力者で美術の庇護者でもあった、銀行家、政治家のパラ・ディ・ストロッツィや、コジモ・ディ・メディチからの依頼を受け仕事をし、また、バチカンでも4年程絵を描いていた時期もあり、修道士でありながらも、精力的に活動をした画家でした。

作品解説(受胎告知)プラド美術館

受胎告知とは、マリアが、神に送られた聖霊によってイエス・キリストを妊娠したこと、つまり処女懐胎を大天使ガブリエルが告げるシーンです。

フラ・アンジェリコ 受胎告知 プラド美術館(1426年)

作品解説

左側には、神によってはじめて造られた人間アダムとイブです。楽園に住んでいたのに、神を裏切り、食べてはいけないと言われた禁断の木(善悪の知識の木)の実を食べてしまいました。木の実を食べて善悪が分かるようになり、それまで知らなかった羞恥心も知ることになり、それまでは裸での生活を普通だと思っていたのに、イチジクの葉で体を隠します。この絵の中では、服を着ています。

神の教えに背くという罪を犯し、楽園を追放され、この罪が、人類の【原罪】となります。これは『旧約聖書』の中のシーンですが、この原罪を負った人類を、神は見捨てることなく、その救世主として神の子イエスが送られてくるのです。

アダムとイブの上に光があって、その中の神の手が、鳩の姿の聖霊(光の筋の中に鳩が描かれているの見えますか?)を人類の救済のために放ちました。その聖霊を受け入れたのがマリアでした。

イエスの誕生が12月25日という事になっているので、その9か月前、3月25日が受胎告知の日だったということになります。

宗教画では、白い鳩は、聖霊を意味します。
この絵の中には、白い鳩と、ツバメが描かれています。
ツバメは、復活です。春(イースターの頃)になると現れるツバメは、イエスの復活を意味します。

ツバメの上には、イエスの顔が彫刻されているのも面白いところです。今、受胎告知されたところですから、イエスはまだこの世に生まれていないはずなのに、生まれる前から存在をアピールしているイエス? こういうところは、画家の個性なのかもしれません。

大天使ガブリエルとマリアの足元には、大理石が敷かれています。マリアの服のひだや、大天使ガブリエルの服はプリーツになっているところ、中からチラッと青い布が覗いているところも素敵です。また、奥にもう一部屋見えていて、これで絵に奥行きを出しています。

この作品で、アダムとイブが住んでいた楽園に描かれている植物は、全てその種類が識別されています。
アダムの後ろの目立つ木は、ドラゴン・カナリオ(竜血樹)と言われる当時はまだすごく珍しいエキゾチックな木だったそうです。

絵の下には、5枚の小さな絵があって、この5枚で、マリアの生涯を描いています。
向かって左から、

①聖母の結婚
②エリザベート訪問(マリアの親戚で、洗礼者ヨハネの母、彼女が受胎したことを知り、マリアがエリザベートを訪問する)
③キリスト降誕
④聖燭祭(イエスを生後40日後にエルサレムの神殿に連れて行き、産後の汚れの潔め、イエスを神に捧げた式)
⑤聖母被昇天(マリアの永眠)

フィレンツェの修道院からスペインへ

絵がフィレンツェのサント・ドミンゴ・エン・フィエゾレ修道院のために描かれたのは1426年、その後、新しく鐘楼を作るための 資金代わりに売られたのが1611年でした。

絵を買ったのが、法王パブロ3世の甥にあたる、マリオ・ファルネーゼ公爵。

スペインの当時の国王はフェリペ3世。そのお気に入りで、陰の権力者であったレルマ公爵、彼は膨大な数の絵画のコレクションを集めましたが、このレルマ侯爵にマリオ・ファルネーゼ公爵が贈ったのがフラ・アンジェリコの『受胎告知』でした。

レルマはそれをバリャドリッドのドミニコ会に渡し、その後、いつ、どういう経緯かは不明ですが、マドリードのデスカルサス・レアル修道院へ贈られました。

デスカルサス・レアル修道院は、16世紀に建てられたもので、修道院と言っても王家のお姫様や貴族のお嬢様が入った王立修道院、とても修道院とは思えない、素晴らしい美術品が集められていました。その修道院の中庭を囲んだ建物の2階通路に、この絵は飾ってありました。

その後、1861年からはプラド美術館所蔵となっています。

修復作業を終えて

プラド美術館の作品は、1936年から1939年の国内の市民戦争の際、作品の安全確保のため、トラックに積み込み、戦火をくぐりぬけてスイスに運び保護しましたが、フラ・アンジェリコの『受胎告知』は、その移動に耐えられないほどの劣化状態だったので、プラド美術館で保護しました。

1943年にプラドで修復を行った時、はじめて、修復の内容すべてが文書化して残されましたが、それ以前にも600年の間何度も修復作業をした形跡はあり、ただ、専門の修復家ではなく、いろんな画家がその作業をしていたようで、逆に作品を劣化させてしまったところもあったようです。

もともとは、フィレンツェの修道院の絵で、ロウソクの灯りを灯しながら祈りを捧げていた場所にあったもので、ロウソクのすすで汚れ、その後の修復で、上塗りされて元の状態がわからなくなっていて、また、絵の移動の際(いつだか時代はわからない)、急激に温度変化と、湿度の変化があったらしく、それも絵を傷めた大きな原因になっているそうです。

この絵を、最後にプラド美術館で修復をして、一般公開を再開したのが2018年でした。その修復作業の際、1943年の修復に時にはできなかった(当時の技術では逆に作品を傷めてしまうかもという懸念があった)今まで確認できなかった細かい部分が、またよみがえりました。

中でもこの絵を修復後に見た人が一番驚いたのは、その鮮やかな色です。
ここに載せた写真は、修復前のもの、この状態でも、約600年も前に描かれた絵とは思えないほどの色彩なのですが、実際に修復後の絵を見ると、率直に、「なんてきれいな絵なんだろう!!」って、言葉では表現できない感動があります。

天使の羽が、修復後は一枚一枚はっきりとした輪郭で、その一枚づつが、クジャクの羽模様なのです。

天使の羽や、金髪の巻き毛、金の光輪など、金の部分も際立ってきれいな状態になっています。

フラ・アンジェリコが描いた『受胎告知』プラド美術館以外にもあります

フラ・アンジェリコは、『受胎告知』を何枚も描きました。

プラド美術館の作品が、その中で一番初めに描かれた作品です。

ディオチェザーノ美術館(コルトーナ)1430年頃

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)1446年頃
サン・マルコ美術館(フィレンツェ)フレスコ画 1446年頃

マリアの反応は、画家によってさまざま

大天使ガブリエルがマリアのもとへ現れた時の マリアの反応はさまざまで、比べると面白いです。

この時、マリアは静かに読書中でした。そこへ突然光が差し込んで、と思ったら誰かいる、羽が生えた天使が目の前に現れたわけです。それだけでも、もう十分に驚いたはずなのに、そこに追い打ちをかけ、「あなたは、今、神の子を身ごもったのです」って、おそらく普通の反応は、「え、 何、何言ってるの?」だと思われます

フラ・アンジェリコが描いたこのシーンでは、マリアは両腕をクロスさせ胸を抱えて、”全てを受け入れます” という姿です。

こちらは、シモーネ・マルティーニの受胎告知

「えーーー!!なんでーーー!!! 困りますーーーー!!!!」と、ちょっと逃げている様子。
わかりずらいでしが、マリアの表情がすごく不機嫌なのが、面白いですね。

シモーネ・マルティーニ 受胎告知 ウフィツィ美術館 (1333年)

こちらは、レオナルド・ダヴィンチの受胎告知。

マリアはここではもっと堂々としています。

Leonardo da Vinci, CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commonsレオナルドダヴィンチ 受態告知 ウフィツィ美術館 (1475年頃)

こちらは、エル・グレコの受胎告知

マリアは明らかに驚き、困惑の表情をしています。

エル・グレコ 受胎告知 プラド美術館(1600年頃)

それぞれの絵が描かれた時代も違っていて、シモーネ・マルティーニはゴシック美術の時代でこの時代はまだ宗教画というと、装飾写本的イメージが強く、また、遠近法も絵の中に表現されていません。表情や体の動きなどが出てきますが、硬くてぎこちないというのが大きな特徴です。

その後のダビンチは、ルネサンスの時代、人の姿が自然になってきます。そして絵に奥行きを表現していきます。
ダビンチの絵には背景によく山が描かれていますが、この受胎告知にも背景に白っぽくちょっと青味がかった山が描かれ、空気遠近法という方法が使われています。

エル・グレコは、ルネサンスでほぼ完成された絵のテクニックを、わざと崩して画家らしい表現を加えたり、体を異様に引き延ばして描くマニエリスムの特徴がはっきりと表れています。

まとめ

プラド美術館には、他にもフラ・アンジェリコの作品があります。

●La virgen de la granada(展示室 056B) →2016年にプラド美術館が約22.5億円で購入した絵です。

●Funeral de San Antonio de Abad(展示室 056B)

そして
Anunciación(受胎告知は,展示室024)

フラ・アンジェリコの受胎告知はプラド美術館お勧め作品の中でもとくにとくにお勧めの1枚です。

写真引用 : wiki commons パブリックドメイン