ベラスケスが描いた神話の世界、【アラクネの寓話】
絵の中にいろんな隠されたポイントがいっぱいです。
ベラスケスの作品では、見落とせない作品のひとつです。
【アラクネの寓話】とは
変身物語に出てくる神話のひとつ。
変身物語とは、ギリシャ・ローマ神話の登場人物たちが、動物や植物や星座などに変身していく話を、古代ローマの詩人オウィディウスが15巻にまとめた物です。
≪アラクネの寓話≫のあらすじ
アラクネは、貧しいながらもとても優れた機織りの女性でした。
自分の技術を鼻にかけたアラクネは、
「私、女神様よりもすばらしいものを織ることができます、勝負してやるわー!」
と自信満々。
それを聞いた知恵・芸術・工芸・戦略の女神アテナは、
「神を侮辱するとは、なんと生意気な!」
と怒り、アラクネの高慢な態度を改めさせようと、老婆の姿になって、アラクネのもとに現れます。
「自慢もほどほどにしておきなさい。そして、神様に対して失礼ですよ、許しを乞うべきです」と、老婆の姿のアテナがアラクネに悔い改めるチャンスを与えます。
それでもアラクネは、「お婆さん、説教したいなら自分の娘か嫁にしてください。だいたい、女神さまは私との機織りの勝負が怖くて姿を現さないじゃないですか」
と聞く耳をもちません。
そこで老婆から女神の姿に戻った怒ったアテナは、アラクネと機織りの勝負をすることになりました。
女神アテナは、神々に挑んでその罰で動物や植物などに変身させられた者たちの姿や、アテナが(ギリシャのアテナの)守護神の座をかけて海の神ポセイドンと競った時の勝利の様子を図柄に織りました。
一方のアラクネは、ゼウスの浮気心のために翻弄された女性たちの話や、他の神々の身勝手な行動のエピソードを図柄に、素晴らしい織物を完成させたのです。
その素晴らしさに負けを認めることもできないアテナ、神々の行為を非難するような図柄の織物を織ったアラクネに激怒し、手に持っていた梭(ひ=機織りの横糸を通す道具)でアラクネの額を数回殴りつけました。
屈辱に耐えられなかったアラクネは、思い切って首をくくり命を絶とうとします。
そこでアテナはアラクネを抱き上げて、「命までは奪うつもりはありません。でもそうやって一生、あなたもあなたの子孫もぶら下がって、織物をしながら、罰をうけながら生きていくのです」と、草の汁をかけて、アラクネを蜘蛛に変えてしまいました。
という、お話です。
大事なポイント
この話の中で、蜘蛛に姿を変えられたアラクネも大事ですが、もうひとつ大事なのは、アラクネが女神アテナとの勝負の時、織った図柄の内容です。
神々の勝手な行動で翻弄された人たち、特にゼウスの浮気がテーマの内容が図柄になっていることです。
アラクネが図柄として選んだゼウス浮気物語の一つが、【エウロペの略奪】です。
ご存じでしたか?
全知全能の神ゼウスは、かなり浮気性でした。
正妻ヘラはゼウスの浮気には厳しく、
浮気が発覚するとゼウスにではなく、その浮気相手がヘラの怒りで大変な目にあうのです。だからゼウスは奥さんにバレないように別の人や動物に姿を変えてお目当ての女性に近づき、目を付けられた女性の方もゼウスではなく他の姿なので、つい気を許してしまうという仕掛けでした。
≪エウロペの略奪≫のあらすじ
エウロペはフェニキア王の王女、美しい女性で、その日はお付きの女官たちと海辺でお花摘みをしていました。
ゼウスはその美しいエウロペに一目ぼれ、なにかいい手はないかと考え、白い牡牛の姿に身を変えて、海辺にいた牛の群れに中に紛れ込んでエウロペに近づきました。
白い牡牛はおとなしく、エウロペはその白い牡牛に気を許し、牛の頭に花を飾り、そしてその牛の背中にそっと腰を下ろしました。
その瞬間、おとなしかった白い牡牛は、エウロペを背中に乗せたまま海を渡りクレタ島まで渡っていったのです。
そして、ゼウスは彼女に気持ちを打ち明け我が物にし、子供が3人生まれることになります・・・というお話。
この時エウロペを乗せてクレタ島まで行くときわたった場所が現在のヨーロッパ、エウロペはヨーロッパの語源になった女性、また牡牛の姿のゼウスが海を渡っていく姿から牡牛座が誕生します。
【エウロペ略奪】という有名な神話のシーンを機織りの勝負で織り込んだアラクネ
つまり、エウロペの略奪は、アラクネの寓話には欠かせない大事なポイントなのです。
【エウロぺの略奪】
当時王侯貴族の教養のひとつとして、ギリシャ・ローマ神話の知識を持っているのが当然という言う扱いで、その内容は絵画のテーマとしても人気があり、王家に仕えるような画家たちも内容を熟知していたはずです。
ティツィアーノの【エウロペの略奪】
多くの画家が、エウロペの略奪を手掛けましたが、ティツィアーノの作品は有名です。
この絵は、スペイン国王フェリペ2世の依頼で変身物語がテーマとなった『ポエジア』という神話のシリーズのなかの1枚の【エウロペの略奪】です。
白い牡牛の頭には花飾り、背中にはエウロペの姿、急に海を渡りだす牡牛から落ちないようにしっかりと牛の角を左手で握りしめ、右手には赤い布を持ち、恐怖の表情です。左奥の方には、海辺で驚きながらエウロペと牡牛を見つめ慌てているようなお付きの女官たちの姿と、本物の牛の群れ。
天使は弓矢をもったキューピッド、恋愛成就が暗示されています。
この絵は、カルロス2世の時代、贈り物としてスペインを離れ、現在はボストンのイサベラ・スチュワート・ガードナー美術館所蔵です。
ルーベンスの【エウロペの略奪】
こちらは、ルーベンスが2度目のスペイン滞在中にティツィアーノ作品を模写したものです。この時は国王フェリペ4世の依頼でスペインに8か月ほど滞在することになり、その間王宮に飾ってあるティツィアーノの作品を目にすることがあったのです。そして、何枚もティツィアーノの作品を模写しています。そのうちの1枚が、【エウロペの略奪】でした。
そして、国王フェリペ4世の時代というと、ベラスケスの時代でもあります。
ルーベンスが2回目にスペインに来たのは1628年51歳頃、当時ベラスケスは29歳、すでにヨーロッパの王侯貴族から高い評価を得ていたルーベンスはベラスケスに大きな影響を与えたのは間違いないと思われます。
ベラスケスの【アラクネの寓話】との関係
話をベラスケスの描いた【アラクネの寓話】に戻します。
この作品は以前は、単なる機織りの女性たちの仕事場の風景(前方)と、出来上がった作品を見ている高貴な女性たち(後方)を描いたものと思われていました。
1940年代に専門家によって、神話のシーンであるという説がでて、また、17世紀の王家の所有物記録書の中に、”ベラスケスによって描かれた【アラクネ寓話】”という記録が残されていることもわかり、その後さまざまな事が明らかになっていきました。
この前方のシーンは、腕自慢で謙虚さに欠けるアラクネの元へ、老婆の姿に身を変えた女神アテネがやってきたシーンです。右手の白い服の後ろ向きの女性がアラクネ、左で糸巻きを回しているベールの女性が老婆姿のアテナです。老婆の後ろに梯子がおかれ、これが神の世界と地上の世界を表しています。
糸巻きが実際に高スピードで回っている感じ、老婆の手元がその奥でぼんやりと描いてあるところ、また老婆とアラクネの構図が、ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の天井画の一部の構図を参考にしたということも注目すべきポイントです。
今度は後方のシーンに注目すると、
後方に、鎧兜を被った人が手を振りかざし、その前に女性の姿がみえています。
怒った女神アテナが梭(機織りの道具)でアラクネを殴ろうとしているシーンの例が
下の絵↓↓↓↓↓↓
アテナは、ゼウスの頭から鎧兜を身に付けて生まれてきた、知恵と芸術と工芸と戦いの女神、その鎧兜を付けたアテナがアラクネの額をまさに殴ろうとしています。
この2人がベラスケスが描いた【アラクネ寓話】の後方の2人。
さらにその奥があって、この2人の後ろにアラクネが織り上げたタペストリーが飾られています。
先にお話したティツィアーノの作品をコピーしたルーベンスの【エウロペの略奪】。
これが鎧兜姿のアテナとアラクネの後ろに飾られたタペストリーの図柄です。
上の2枚の絵を合体させると、↓↓↓↓↓↓
上にキューピッドが2人そして、アラクネの右後ろに赤い布と、白い牡牛の姿が見えています。
そして実はルーベンスもアラクネ寓話を描いていて、
同じく、鎧兜姿のアテナがアラクネを殴りつけようと手を振りかざし、その後方(右)に、白い牡牛とエウロペが見えています。ただ、エウロペは、牛にまたがった姿で描かれていて、これはティツィアーノのエウロペの略奪とは違っているのがわかります。
この絵は、フェリペ4世に依頼を受けルーベンスが描いた数枚の神話がテーマの作品の1枚で、まだ下描きです。ルーベンスは特に、下描きは本人であとは工房の弟子たちが仕上げるという方法を使っていました。
ベラスケスはおそらく、このルーベンスの絵をもとに、その中のエウロペの略奪のシーンには、ティツィアーノ⇒
ルーベンスのエウロペの略奪を描くことで、先輩たちへの敬意を表したものと思われます。
その他
後方のシーンは、その前に階段が2段あって、まるで舞台の上のお芝居のようです。
そして後ろの3人の女性たちは、何を意味するのでしょうか?
ただ、後方の3人の一番右の女性は何かを問いかけるように、こちらを見ています。
向いている先は、私達、絵の鑑賞者。一体何を問いかけているのでしょうか?
まとめ
このようにベラスケスは、1枚の作品の中に、ティツィアーノに対する、そしてルーベンスに対する敬意の表して、
光が当たっているところに注目すると、前方、後方の2ヶ所のアラクネ(だけ)に光をあてて、”主人公はここにいますよ”と教えてくれています。
この作品は、ベラスケス独自の芝居がかった設定の中から、後方の女性の視線を通して私たちに何かを問いかけていることに気づくと、ますます引き込まれていく作品です。
プラド美術館に行かれる時は、忘れずにこの作品の前に立って、何を問いかけているのか、画家の気持ちを考えてみるのも面白いかもしれません。