スペイン世界遺産『セゴビア』水道橋とお城、名物料理 子豚の丸焼きで有名なレストラン

世界遺産の街セゴビア。

マドリードからバスで1時間ちょっとで中世の街に到着です。

見どころがいっぱいなので、セゴビアで是非見て欲しい物、食べて欲しい物などをご紹介したいと思います。

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水道橋

まずは、なんといっても水道橋。
2000年も前に、こんなすごい物を作る技術をもっていた古代ローマの人達、かつて広大な領地を支配した人達は、生活環境を整えるために、道を造ったり街を造ったり、水道橋を造ったり、都市開発のパイオニアだったんですね。

また、もともとの住人達に、”ローマ帝国ここにあり”という、住民のローマ化のシンボル的意味合いもあったと考えられます。

セゴビアの水道橋は全て花崗岩のブロックでできていて、セメントやモルタル、鉛といった接着材はいっさい使われていません。

水源から街に水が流れ込むまでに、2か所の浄水所(土、葉っぱなど除く)が設けられ、また、水が途中で滞ることなく自然に流れて行くための水勾配(水路の傾斜)も綿密に計算されているのです。

近くで見ると、石に穴(くぼみ)があり、この穴を大きなハサミで挟んで、石の重さでハサミが開かず、大きな石を持ち上げて積み重ねていったのです。

●造られたのは1世紀の終わりごろ、はっきりとした年代は不明
●水源は、街から約17㎞弱離れた、グアダラマ山脈のフエンフリア(フリア川)
●橋の形になっているのは、728m。
●一番高いところで、28m
●アーチの数 166
●柱の数 120本
●石(素材は、花崗岩)の数20,400個


約2000年前に造られ、15世紀にイスラム軍の攻撃で一部壊れたこともありましたが、すぐに修復され、20世紀の初めごろまで使用可能でした。

もちろん造りっぱなしではなく、歴史の中で何度か修復、メンテナンスを行っていたこともわかっています。

世界でも特に保存状態の良いローマ帝国時代の水道橋で、”百聞は一見に如かず” という言葉そのままに、実際に見ると圧巻の建造物です。

水道橋の下にインフォメーションセンターがあり、横の階段を登ると、上から、水道橋と街の絶景を見ることができますので、是非登ってみてください。

【悪魔が造った水道橋】伝説によると、水道橋が造られる前は、雨の日も、雪の日も、暑い日差しでも街から離れた水源まで、水を運びに行かなければいけませんでした。毎日水汲みをしてた女性は、「もうこんな毎日は嫌だ」と嘆いていました。それを聞きつけた悪魔が女性に、「明日の朝、一番鶏が鳴くまでに、一晩で水道橋を作ってあげるから、できたら報酬として、あたなの魂をもらいます」と持ち掛けました。女性はその話を承諾します。悪魔は、約束通り一晩で水道橋をほぼ完成させますが、一番最後の石を積む前に一番鶏が鳴きました。おかげで、女性の魂は救われ、水道橋ができました。

こんなすごい建造物、「人間の力では できるわけがない」と後世の人達は思ったのかもしれませんね。

※インフォメーションセンターの中にトイレがあります(有料20c)

ロムルスとレムスの銅像

ローマ建国神話、ローマ建国者【狼に育てられたロムルスとレムス】の銅像のコピーが、ローマ帝国支配下にあった当時造られた水道橋の下に置かれています。(オリジナルはローマのカピトリーノ美術館)

これは水道橋建造から(推定)2000年を記念して、1974年にローマ市からセゴビア市に寄贈された物。
建造2000年かどうかは、造られた年が不明なので定かではありませんが、ローマ遺跡の記念碑として贈られた物です。

子豚の丸焼き(Cochinillo Asado)で有名なレストラン 『CÁNDIDO』

インフォメーションセンターの正面のレストランCándido(カンディド)は、≪子豚の丸焼き≫で有名な老舗のレストランです。

店の前の銅像の男性が初代カンディド氏。建物は19世紀後半の建物で、レストランは初代オーナーのカンディド・ロペス氏が27歳のとき1930年に始め、現在3代目。

子豚の丸焼きで有名なMESON CÁNDIDO
Wikimedia Commons

子豚はもともとこの地方の名物料理で、ゆっくり時間をかけて焼いた生後3週間の子豚で、皮がパリパリで、中はジューシーで柔らかく、サービスするときは、テーブルに丸ごと運んで、お客様の前でサクサクと切りわけます。

通常ナイフで切っていましたが、ある日カンディド氏、手元にナイフがありませんでした。それで近くにあったお皿をナイフの代わりに使って、サクサクサクと切り分け、ナイフを使わなくても簡単に切れるほど、パリパリで中は柔らかい事を証明することになり、お客様たちも喜びました。

その後、もうお皿で切るのが習慣になったある日、今度は、持っていたお皿がうっかり手から滑り落ち、パリーーーンと床に落ちて割れてしまいました。その場にいたお客様たちは、それが何かのパフォーマンスだと思ったのか、とても喜んで拍手で盛り上がりました。

それをきっかけに、その後ずっとお皿を割り続けているレストラン・カンディド。

そして、このお店のおかげで、”セゴビア=子豚の丸焼き” が、スペイン中に、また外国からのお客様にも子豚をアピールする広告塔的な有名店です。

水道橋の目の前という、わかりやすい場所で、建物の外観もそうですが、中に入ると、19世紀の建物だけあって、なんとも歴史を感じるレストランです。(人気のお店なので予約をした方がいいと思います。)

他にも何軒か、有名なレストランがあります。

店名場所電話
Mesón CándidoPlaza Azoguejo(+34)921 425 911
Restaurante José MaríaCalle Cronista Lecea 11
(マヨール広場の近く)
(+34)921 461 111
Restaurante MaracaiboPaseo Ezequiel González 25
(バスターミナルの前)お勧め
(+34)921 461 545
Restaurante Casa DuqueCalle Cervantes 12
(口ばしの家の近く)
(+34)921 462 487

セゴビアの名物料理は、子豚の他にもありますが、JUDIONES(フディオネス)という、豆の煮込み料理、デザートは、PONCHE SEGOVIANO(ポンチェ セゴビア―ノ)などが定番です。

子豚の丸焼き

Javier Lastras CC BY 2.0 Wikimedia Commons

フディオネス

MiguelAlanCS, CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons

ポンチェ

CASA DE LOS PICOS(くちばしの家)

Bernard Gagnon, CC BY-SA 3.0 Wikimedia Commons

この建物は、くちばしの家(トゲの家、ダイアモンドの家)と言われる建物で、15世紀の終わり頃建てられたものです。

16世紀のこの家の持ち主が、以前「ユダヤの家」とよばれていたこの家のイメージチェンジのために、特徴のある装飾を施したのがこのトゲトゲです。

約600のトゲトゲの中の一つには、お宝が隠されているとかいないか。

現在はセゴビアの美術学校となっています。

ちなみに、ほぼ同じ時代に建てられた、同じ装飾の建物が、ポルトガルのリスボンと、イタリアのフェラーラにもあります。

Fundação José Saramago, CC BY-SA 3.0 Wikimedia Commons
リスボンの≪Casa de Bicos≫
フェラーラの≪Palazzo dei Diamanti≫ public domain

 

ESGRAFIADO (エスグラフィアード)スグラッフィート

旧市街地の建物の壁に注目してみると、どの建物も、壁に色んなデザインの凹凸のある装飾が施されています。

これは、スグラッフィートといって、

漆喰装飾の一つで、
1.壁に漆喰を塗って乾かす
2.1の漆喰が乾いたら、ちょっと色味の違う漆喰をもう一度上から塗る
3.2で塗った漆喰が半乾きの状態で、模様を付けて、2の漆喰の模様の部分を引っ掻きだす
4.1と2の色の違いと、漆喰を掻き出してできた凹凸で模様が浮かびあがる
という方法で、壁に装飾をしたものです。

もともとは、イスラム装飾の一つで、多くの模様は幾何学模様になっています。

同じデザインが別の建物に使われることはほぼありません。
一つの建物でも、壁一面が全部同じ模様ではなくて、場所によって違ったデザインとのミックスになっています。

Alberto Albarran Creative Commons Genérica de Atribución/Compartir-Igual 3.0

他の地方でも見られる装飾ですが、カスティーリャ・イ・レオン州、特にセゴビアでは、このスグラッフィートの伝統と技術の保存に力を入れています。

PLAZA DE SAN MARTÍN(サン・マルティン広場)

フアン・ブラボーの銅像 サン・マルティン広場

セゴビアの街でも特に中世の雰囲気を残すメインストリートにある広場です。

上の写真の銅像は、ファン・ブラボー、16世紀の街の英雄です。
16世紀のスペインは、外国生まれの国王カルロス1世の時代で、国王の政策に納得のいかない、セゴビアや、トレド、サラマンカなどの当時力のあった街では、国王に反旗をひるがえしました。(コムネロスの戦い)その時のセゴビアのリーダーだったのがファン・ブラボーです。

Carlos Delgado, CC BY-SA 3.0 Wikimedia Commons

サン・マルティン広場には、15世紀~16世紀ごろの建物があり、当時の有力者たちの住居として使われていました。

PLAZA DE LAS SIRENA(シレナ広場)とも呼ばれます

街の人達は、このサン・マルティン広場をシレナ広場とも呼びます。シレナとは、人魚の事です。

どうして人魚の広場と呼ばれるのか、よく言われる説は、広場にあるこの彫刻。

これは、1852年にセゴビア市が ”シレナ広場” の装飾のためにフランシスコ・ベルバーというバレンシア出身の彫刻家に依頼したものです。本来ならば人魚の彫刻が望ましいと思うのですが、どういうわけか(理由不明)この彫刻家が作ったのは、スフィンクスの像でした。

後に、多くの人達は、この彫刻のせいでそう呼ばれるのだろうと(勝手に)思ったようですが、この彫刻は、どう見てもシレナではありません。

本当の理由は、広場にあるサン・マルティン教会の柱の装飾にヒントがあるようです。
下の写真の一番手前の柱頭の装飾、見えますか?
鳥なのですが、実は頭は人間なのです。

No machine-readable author provided. Pelayo2 assumed (based on copyright claims)., CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons

シレナ(人魚)というと、神話にでてくる、上半身が女性で 下半身がお魚の姿を 皆さん想像されると思いますが、
ギリシャ神話では、もともとシレナは、体は鳥で、顔が女性の姿でした

No machine-readable author provided. Marsyas assumed (based on copyright claims)., CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons

その後ローマ帝国の時代になってローマ神話では、その広大な支配地のせいか、場所によって少しづつ伝わることが変っていき、上半身女性で、下半身がお魚のシレナ(人魚)が登場します。

この鳥から魚への移行は、イベリア半島では中世まで続き、その後シレナというと人魚の方が一般的になっていきました。

このサン・マルティン教会の建設は、12世紀で、その頃シレナと言えば、鳥の方でした。

ということで、この柱頭の装飾にシレナの姿があるため、”シレナ広場”となったようです。

Iglesia de San Martín(サン・マルティン教会)

12世紀に建てられたロマネスク様式の教会です。

石の装飾が素晴らしいです。シレナ(頭が女性の鳥の姿)もいますよ。

Plaza Mayor(マヨール広場)

マヨール広場 Palickap, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

スペインのどこの街にも、旧市街地にマヨール広場という名前の広場があります。

通常マヨール広場は、街の一番大きな広場で、市庁舎と教会もあり、王様の式典や、宗教行事、お祭り、闘牛、青空市場など、人が集まる場所でした。

上の写真、正面の時計のある建物が、セゴビアの市役所、建物のまわりには、バル、レストランと、そのテラス席もあり、お茶を飲んだり、食事をしたり、また、お菓子屋さんや、土産物屋さんもあります。

セゴビアの旧市街地では、水道橋(もしくは、くちばしの家辺り)から、このマヨール広場までが、土産物屋、小物屋などが多くあります。ここから先もお店はありますが、かなり減って、静かな地区になっていきます。

サン・ミゲル教会

マヨール広場は、かつてはサン・ミゲル広場と呼ばれていました。

市庁舎の建物の正面(ちょっと左側前方)に、サン・ミゲル教会があり、そのためにそう呼ばれていました。

サン・ミゲル教会 Hector Blanco de Frutos, CC BY 2.5 Wikimedia Commons

サン・ミゲル教会は、1474年12月13日に、スペインの歴史で特に大事なイサベル女王の戴冠式が行われた教会です。

CATEDRAL (セゴビアの大聖堂)

セゴビアの大聖堂は、かつては12世紀に建てられたロマネスク様式のサンタマリア大聖堂が、アルカサール(王宮)の前の庭にありました。

先程お話をした、16世紀のコムネロスの戦いで、国王に刃向かう市民たちが立て籠もったのが、このサンタマリア大聖堂で、

コムネロスの戦い(1520年)が鎮圧されたのち、かなり破壊されていた大聖堂の再建の際、国王カルロス1世は、王宮前の庭から場所を変え、1525年、現在の場所に建設がはじまり、17世紀の初めごろ完成したのが、現在の大聖堂です。

この建物の建設が始まった頃は、ルネサンス建築様式の時代でしたが、わざわざゴシック様式で造られたもので、スペインの大聖堂の中で、一番最後のゴシック様式の大聖堂が、セゴビアの大聖堂です。

昔の教会は、工事が終わるまで100年200年と時間がかかり、完成するまでに、何度か建築様式がかわることもあり、いくつかの様式のミックスで、外観がちぐはぐな感じで仕上がることもありましたが、セゴビアの大聖堂は、ゴシックだけで外観は統一されているため、また独特の細かい装飾のせいか、≪大聖堂の貴婦人≫と言われるほど優雅な仕上がりです。

ALCÁZAR(アルカサール)

セゴビアのアルカサールは、ディズニーの≪白雪姫≫のお城のモデルになったことでも有名な、中世のお城です。

アルカサールがあるのは、クラモレス川とエレスマ川の上の断崖の丘の上、ローマ帝国、イスラム軍など、かつての支配者たちが拠点を置いていた場所が、アルカサールがあるこの場所でした。天然の要塞の役割を果たす最高のロケーションです。水道橋で街に流れ込む水は、最終的にはここが終点でした。

アルカサールは、12世紀この地を再征服したアルフォンソ6世の時代に建設が始まり、その後歴代のカスティーリャの王たちの居城でした。

イサベル女王は戴冠式の際、このアルカサールからマヨール広場のサン・ミゲル教会へと向かいました。

16世紀までに何度か拡張工事などが行われ、1570年には、マドリードを首都にしたフェリペ2世の4回目の結婚式(アナ・デ・アウストリアとの結婚式)もこのアルカサールで行われています。

その後一時は牢屋としても使用された期間もありましたが、1862年火事でほとんど焼けてしまいました。再建工事の際は、できるだけ元の状態と同じような装飾で再建しました。

再建後、1898年以降は、スペイン軍地資料保管庫として使用されていて、いくつかの部屋は、博物館として一般公開しています。(塔からの景色も素晴らしいです)

入場料金営業時間
アルカサール€6
€9(館内+塔)
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※営業日、時間、料金は要確認

アルカサールの入場口に近いところにある木の上には、コウノトリの巣があります。

スペインには、約40,000羽のコウノトリが生息し、子育てをしますが、3月から6月の繁殖のシーズンには、だいたいこれらの木の上にある大きな巣にコウノトリの親子を見ることができます。
≪参照≫スペインのコウノトリ

まとめ

セゴビアは、水道橋も含め旧市街全体が世界遺産です。

マドリードからも近く、小さな街なので、観光もグルメも買い物も一気に楽しめます。

中世のおとぎ話のような街並みを、ゆっくり歩いて散策を楽しんで下さいね。