≪マヨール広場に行ってみよう!≫マドリードのマヨール広場の歴史と見どころ、周辺の人気のバルやお店紹介。

スペインで初めての街に行くときは、まずはマヨール広場という名前の広場を目指しましょう。

どんなに小さな街でも、マヨール広場があるはずです。

マドリードのマヨール広場の歴史や、周辺の人気のバルやお店などを紹介します。

Sebastian Dubiel, CC BY-SA 3.0 DE Wikimedia Commons
スポンサーリンク

マヨール広場(Plaza Mayor)とは

マヨールとは、この場合 ”大きな” という意味です。

Plaza Mayor → プラサ マジョール と発音します。

※スペイン語では、
Z は濁らず さ・し・す・せ・そ 
Plaza → プラサ

Y はなぜが濁り じゃ・じ・じゅ・じぇ・じょ
Mayor → マジョール

マヨール広場の歴史

マヨール広場の歴史の前にちょっとだけマドリードの歴史をお話すると、マドリードには、ローマ時代からの遺跡なども発掘されていますが、街の基盤がつくられたのは9世紀、モハメッド1世というイスラム教徒の王様の時代です。その後、11世紀の終わり頃、アルフォンソ6世という王様(当時はまだスペインという国ではなく、この辺りはカスティージャ王国と呼ばれていた頃)の時代にマドリードの街は、イスラム軍からカトリック教徒の街へと代わっていきました。

イスラム軍から街を取り返したアルフォンソ6世は、街を守るための城壁を造りました。

時代と共に少しずつ壁の外にも人々が住む集落が広がり、11世紀に造られた古い城壁の壁の外では市場が開かれていました。

この市場が行われていた場所が現在のマヨール広場の場所で、昔はアラバル広場と呼んでいました。

アラバルというのは、街はずれ(=壁の外)という意味です。

壁の外で市場を開くのは、①城壁の中にはそれほど大きなスペースがない、②壁の中で商売をするには、税金を払わなければいけない という理由で、壁の外で自由に商売をしていたのです。

16世紀にスペインの首都がマドリードに移った時、スペインの財政は度重なる戦争でかなり傾いていて、その補充のため当時の国王フェリペ2世は、この自由市場を整備して、街の一部に取り込んで、税金を徴収することにしました。

ちなみにマヨール広場の形式は、実は、フェリペ2世のもっと前、15世紀スペインという国がまとまった頃からありました。当時のイサベル女王とフェルナンド王は、街の市場が開かれる場所を決め、その管理のために広場に町役場(市庁舎)を設置することを定めていました。

マドリードの場合は、壁の外で勝手に商売をしていた人たちの(国王側から見ると)脱税を管理するために整備が行われたのが、16世紀だったという事です。(マドリードの城壁の中の正式な市場が開かれていた場所は、現在のビージャ広場のあたりでした)

フェリペ2世は広場の整備を始めるにあたり、周辺の立ち退きを命じ、建物を壊し始めたのが1580年。

その後、現在のような長方形の、周りが建物に囲まれた広場にしたのは、フェリペ2世の息子で、フェリペ3世の時代で、できあがったのは1617年です。

その後マヨール広場は過去3回火事があって、そのたびに建物の再建、修復と何度も工事が行われています。

1656年のマドリードの地図 

マヨール広場の目的は、初めは市場だったのですが、その後市場のためだけではなく、宗教行事、公式行事、闘牛、騎馬、裁判所代わり、刑の執行などなど様々な目的で使用され、行事の中には、国王列席のもと行われていたものもありました。

Juego de Cañas  1623年 貴族たちの騎馬競技(余興のひとつ)

マヨール広場は、マドリードに限らず、スペインのどこの街に行っても同じ目的の広場があり、街の中央広場として経済活動があり、人が集まり、余興もあり・・・と、なんでも行っていた大事な広場です。

見どころ1 Casa de la Panadería (パンの家)

Casa de la Panadería パンの家 右側の旗が立っている建物

パンの家 と言われるこの建物、1590年に建てられた建物。(広場の北側の面)
地上階と地下が街のパン屋だったところ。1617年に広場を現在のような形に整備する以前からあった建物で、この建物に合わせてまわりの建物の設計なども行われました。

2階以上は王家の人達が使用した場所で、休憩したり、招待客を招いたり、広場で行われたさまざまな行事に列席、観覧した場所。

マヨール広場の1672年の火事の時、建物はかなり焼けて痛んでしまい、建て直しをしたものです。

中央の旗の上には、ハプスブルグ家最後の国王カルロス2世の紋章が刻まれています。

1680年 Auto de Fe 異端判決宣告式 真正面の貴賓席にはカルロス2世と王妃マリア・ルイサ

このバルコニーから王侯貴族たちは、広場を見下ろしていました

Diario de Madrid, CC BY 4.0 Wikimedia Commons

時代によって現在アルカラ通りにある王立サン・フェルナンド美術アカデミーや、スペイン歴史アカデミーが建物を使用したり、

現在は、地上階がツーリストインフォメーションの事務所になっています。

壁の装飾は、17世紀から現在に至るまで何度も塗り替えられているフレスコ画で、最後の修復は1992年カルロス・フランコスによって描かれた神話の登場人物たちです。

見どころ2 フェリペ3世の銅像

フェリペ3世の騎馬像

フェリペ3世は、父王フェリペ2世や、祖父王カルロス1世と比べると、当時の世界征服を見据えたスペインを支えるだけの統率力はなかったようですが、マヨール広場の整備が完成した時代の王様でした。

ちなみに17世紀日本の伊達藩から送られた、支倉常長率いる慶長遣欧使節団が会ったのはこの王様です。

この騎馬像は、イタリアのフィレンツで1616年にスペイン国王への贈りものとして制作されたもので、中は空洞の銅像で重さ5.5トン。

初めは王家の狩場であったカサ・デ・カンポに設置されました。

マヨール広場で行われていた闘牛や、異端審問などがなくなったあと広場の装飾として、1848年イサベル2世女王の時代に現在の場所に移動しました。

2017年は、マヨール広場ができてから400周年記念でした。その記念として、この騎馬像は重要文化財に認定されています。

小鳥の骨が・・・

現在、騎馬像の馬は、口が閉じた姿になっていますが、かつては口が開いた馬でした。

1931年スペイン第2共和政の時代、この騎馬像はテロの標的となって、空洞の馬の中に爆弾が仕掛けられ、馬は吹き飛ばされてしまいました。(幸い、負傷者なし)

その事件の時、なぜかおびただしい数の小さな骨が、銅像の破片と共に広場中に飛び散りました。

調べてみるとそれは、小鳥の骨・・・。

銅像の馬の口が開いていたので、口元で休憩した小鳥が、なんとなく口の中に入り込んで(落ちて)しまう事があったようで、入るのは簡単でしたが、暗い空洞の馬のおなかの中から細い馬の首と小さな口を通り抜けて外に出ることができなかったようで、数世紀の間に哀れな小鳥さんたちのお墓になってしまっていたのでした。

チュン・・・

その後、銅像の修復が行われた時、馬の口は閉じた姿になりました。

見どころ3 広場の円形のベンチ

広場にある円形のベンチ、よく見るとこの広場で行われていた行事や、かつてこの広場で起きた出来事が刻まれています。

騎馬闘牛
ガロテヴィル 処刑のシーン

ちょっと疲れて座って休憩の時、背中の彫刻も是非みてください。

マヨール広場周辺の人気のバルやお店

広場内もレストランやテラス、お土産屋さんなどたくさんありますが、広場の周辺にも人気のお店がや老舗のお店がたくさんありますので、いくつか紹介します。

①サル通り

①の門からサル通り(calle de la sal)に出ると、老舗の時計屋さんや、マドリードで一番古いホテルなどがあります。小物屋さん、毛糸屋さん、チョコレート、こちらでチュッチェとよばれる色んな形のグミを売ってるお店などがあります。そのまま道なりに歩いて行くと、その先が太陽の門(プエルタ・デル・ソル)です。

チュッチェのお店
ハンバーガー屋さんだけどマカロンも

\よかったらこちらも/

②トゥロンのお店

この門を出ると ”Vicens” というトゥロン専門店があります。トゥロンはアーモンドを使ったお菓子で色んな種類のものがあって、スペインのお土産にとても人気があります。

さすがに老舗のお菓子屋さんだけあって、ここのお菓子はおいしいですよ。お勧めです。

お店は他にもあって、マドリードでは、オペラ座の近くや、プラド美術館の近くにも。入口辺りで試食させてくれます。

③サンミゲル市場へ

この門を出ると、有名なサンミゲル市場。

市場でもあり、フードコートでもあり、人気のタパスやオリーブ、生ハム、チーズ、各種シーフードなど色んなものをちょっとずつ試すことができます。

スペイン人も外国の観光のお客様もごちゃ混ぜで、少々値段が高め(かも)ですが、それでもちょっと休憩がてら立ち寄るには楽しいスペースです。

Sbharris, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons
Sbharris, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

④クチジェロス通り

この門は、階段を降りていく前に、上からアーチ越しの写真を撮るといいところ。

降りていくと、すぐ右手が、⑪の ”Las Cuevas de Luis Candelas”という、ちょっと洞窟風(?)レストランです。Luis Candelas は19世紀のマドリード生まれの盗賊、この建物に隠れ住んでいたという伝説のレストランで、お店の係の人も、当時の盗賊風の衣装です。入口上の看板にも盗賊。

Jim Anzalone from Odessa, Texas, USA, CC BY-SA 2.0 Wikimedia Common

⑤トレド通り

ここもいい感じの写真が撮れます。

奥に2本の塔が見えている建物が、サン・イシドロ教会、現在のマドリードのアルムデナ大聖堂ができる前まで、マドリードの暫定の大聖堂だった教会です。サン・イシドロはマドリードの守護聖人です。

サン・イシドロ教会を過ぎたら、トレド通りではなく、教会の前の道をまっすぐ進むとカスコーロ広場。毎週日曜日の15時まで行われる蚤の市(ラストロ)の露店が並ぶのがこの辺りです。

\よかったらこちらも/

そして、門を出てちょっと降りた左手、赤い垂れ幕みたいなものが出ているところが、⑧の”La Casa del Abuelo” 、エビのアヒージョ(エビをオリーブオイルとニンニクで炒めたもの)で有名なお店です。

そのままもう少し進むと、今度は右手に、⑨の靴屋さん ” Casa Hernanz ” スペイン語ではアルパルガタといいますが、エスパドリーユの老舗のお店、スペイン王室の方々や、女優さん達もこのお店のお得意様だとか。狭い店内、お店の人とお客様1対1の対応で、よく店の外にも行列ができているお店です。

⑥イカリングフライのボカディージョ

この一角には、マドリードでなぜかとても人気の庶民グルメ ”イカリングフライのボカディージョ”のお店があります。

ココに限らず、マヨール広場内、周辺にはあっちこっちにイカリングフライのボカディージョの店がありますが、スペイン人の友達がすすめてくれたのがこちらでした。(La Campanaというお店)

⑦堕天使

サンミゲル市場を出てマヨール通りの方に行って、建物の上を見ると、天から落ちた堕天使が建物に頭から埋まってます。↓↓↓↓↓↓

\よかったらこちらも/

その他

④クチジェロスのアーチを降りて、Luis Candelas の店の角を今度は右手の方に進むと⑩のマッシュルームの店、Mesón del Champiñónがあります。ここはマドリードで一番と言ってもいいくらい人気のお店、鉄板焼きのマッシュルームが有名です。みんなが喜んでくれる、気さくで美味しい昔ながらの庶民的なお店です。是非食べてみて下さい。

Mesón del Champiñón

まとめ

このように、マヨール広場は歴史もあり、広場自体も有名な場所ですが、その周辺にも面白いところがいっぱいあります。

ちょうど太陽の門(プエルタ・デル・ソル)とアルムデナ大聖堂の中間地点、アルムデナ大聖堂の横はマドリードの王宮もあり、観光のポイントもいっぱいです。

昔のマドリードの雰囲気を残す旧市街地、疲れたらマヨール広場のテラスで休憩しながら、ゆっくりと街の散策を楽しんでくださいね。

\よかったらこちらも/