ガウディ作品紹介 北スペインにある【エル・カプリッチョ】バルセロナ以外にもガウディの作品があります!!

ガウディの作品というとバルセロナを中心としたカタルーニャ州ですが、カタルーニャ以外にもガウディの作品は存在しています。

北スペイン、カンタブリア州の海岸沿いの村コミ―ジャスにある【エル・カプリッチョ】もそのひとつ。

カプリッチョ=気まぐれ、いったいどんな建物なのでしょうか?

若かりし頃のガウディの作品です。

Triplecaña, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

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コミ―ジャス

スペインの北側、人気のバスク州のお隣カンタブリア州。カンタブリの州都サンタンデールの街から約50kmのところにある人口2,000人くらいの小さな村、コミ―ジャス。ここにガウディの作品があるんです。

ガウディだけではなく、モデルニスモ様式の建物が他にもいくつもあり、小さな村ですが見どころたっぷりの魅力的なところです。

≪ちょっとだけ建築様式のお話など≫

19世紀末から20世紀の初めごろ(第一次世界大戦まで)フランスを中心にヨーロッパではアール・ヌーボーと呼ばれ美術様式が流行しました。大きな特徴は、当時まだ斬新だったガラスや鉄を取り入れ、なおかつ曲線で自然に近い形を表現し、花や植物などをモチーフに装飾されたもの。

スペインではその流れと、さらに自国の過去の歴史的な背景もあって、ムデハル様式というイスラム建築様式をそのアール・ヌーボーに取り入れるなど、特にカタルーニャ地方で独自の展開をすることになります。スペインでのこの様式を≪モデルニスモ≫と呼びます。

時代は産業革命が終わり、財を築いたブルジョア階級が、経済力誇示もかねた邸宅を作りたがっていた頃、バルセロナでも同じくで、そしてその頃活躍した建築家の1人がガウディでした。

漁村からモデルニスモ建築の街へ

北スペインの多くの街がそうであったように、コミージャスもかつては、漁港でした。

特に16世紀から18世紀にかけては、捕鯨が盛んで、カンタブリア海で最後のクジラ捕りの港だったところです。

コミ―ジャスの村に転機が訪れたのは19世紀。

この村出身のアントニオ・ロペス・ロペス氏、立身出世をめざして14歳でキューバに渡り、そこで財を成し、スペインに戻ってからは、海運やタバコ産業で成功をおさめ、国内でも有数の実業家となり、国王アルフォンソ12世もその功績を認め、初のコミージャス侯爵の称号を彼に与えるほどでした。

国王との友好関係も築き、国王一家をコミ―ジャスへ招待することになり、国王一家は1881年と1882年の夏の休暇をコミ―ジャスで過ごしました。国王一家をお招きするにあたり、最高に快適な滞在をと、スペイン国内で初めて電灯を設置して歓迎の意を表しました。(白熱電球の発明は1879年なので、当時の最新技術)

当時アメリカ大陸に渡り財を築いた実業家たちの多くは、生まれ故郷の発展、開発を援助するというのがステイタスというか、習慣で、コミージャス侯爵も村の発展に貢献し大学を、そして、本人の夏の別荘(=国王を迎えるための宮殿)などを造りました。

ポンティフィシア・コミージャス大学
Caguat, CC BY-SA 3.0 ES Wikimedia Commons

そこには、故郷への恩返しと言う意味もありましたが、事業の成功とその経済力の誇示というのが大きな目的だったのです。

その夏の別荘が、ソブレジャーノ宮殿で、国王一家の夏の別荘として提供する予定でした。残念ながら完成まで時間がかかり(1888年完成)、1885年には国王アルフォンソ12世は亡くなってしまい、この宮殿に滞在するには至りませんでした。

ただこのコミージャス侯爵と国王の友好関係の副産物として、貴族や特権階級の人達が夏の保養地を同じくこの地に求めてやって来るようになり、彼らもまた邸宅をつくり、その後大ブレークするモデルニスモの火付け役のような役割も果たす結果となりました。

ソブレジャーノ宮殿は、人気建築家であった、ジョアン・マルトレイの作品で、その弟子であったのがガウディでした。

ソブレジャーノ宮殿
礼拝堂
Anais Goepner Melendez, CC BY-SA 3.0 ES Wikimedia Commons

ソブレジャーノ宮殿→礼拝堂→その隣にエル・カプリッチョがあります。

Triplecaña, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

マクシモ・ディアス・デ・キハ―ノ

ちょっと前置きが長くなりましたが、ガウディの作品【エル・カプリッチョ 奇想邸】の依頼主は、同じくコミ―ジャス出身のマクシモ・ディアス・デ・キハ―ノ

マクシモ・ディアス・デ・キハ―ノ
Artistosteles, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

キューバでアントニオ・ロペス・ロペス(コミ―ジャス侯爵)の会社の弁護士として活躍、そこで財を成し、スペインに戻りバルセロナに住み、コミージャス侯爵の弟とキハ―ノの妹が結婚したことで、侯爵とは親族関係にありました。

独身貴族であったキハ―ノは、やはり故郷に自分の出世の証に、目立つ邸宅を建てました。

コミ―ジャス侯爵が造らせたソブレジャーノ宮殿の建築家ジョアン・マルトレイはガウディの師匠。

コミ―ジャス侯爵の娘の結婚相手は、エウセビオ・グエル
つまり、グエルの義理の父親がコミージャス侯爵。
グエル氏がガウディのパトロンで、友人だったのは有名な話ですね。

コミ―ジャス侯爵は侯爵家礼拝堂の調度品のデザインをマルトレイからの紹介でガウディに依頼しました。

意外なところでの人脈のつながりもあり、この頃まだ新人建築家ガウディが、コミ―ジャスに集まる上流階級へのデビューを果たすことになりました。

キハ―ノは、ソブレジャーノ宮殿の敷地の一角に邸宅を建設することになり、その設計をガウディに依頼することになります。(1883年)

1883年と言えば、現在世界遺産に登録されている、バルセロナにある Casa Vicens(カサ・ビセンス)や、Sagrada Familia(聖家族教会)の仕事も始めた年で、ガウディは精力的に複数の仕事を請け負っていた頃で、バルセロナを離れられない状態で、エル・カプリッチョはガウディがバルセロナで設計を行い、コミ―ジャスの現場で監督を行ったのは、クリストバル・カスカンテ(ガウディの同僚)です。

キハ―ノは、アマチュアではありましたが才能のある音楽家で、またアメリカ大陸からの外来種の植物の栽培にも大変興味を持っていて、エル・カプリッチョは、そういう依頼主の趣味(気まぐれ)を満足させるため、音楽と植物がテーマになった装飾と内部にも趣向をこらしたデザインになっています。

また、建築様式や使われた建築素材なども、いろいろな物を組み合わせ、それまでにない斬新な(気まぐれな とも言える)アイデアをちりばめてデザインされた贅沢な夏の別荘なのです。

外観

外観の装飾で目を引くのは、ひまわりをモチーフにしたタイル装飾。

Respinya, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

この時代のガウディの作品の特徴でもある、タイルとレンガが使われています。

15cm x 15cm の釉薬タイルは、防水加工がしてあります。

ひまわりは、北アメリカが原産の植物で16世紀の初めひまわりの種をスペイン人が持ち帰りヨーロッパに入ってきた植物。外来植物で、日の方向いて咲く大輪のひまわりが見た人の目をまずは驚かせてくれます。

音楽好きのキハ―ノの別荘の装飾、上の写真↑
壁のひまわりタイルの列は、楽譜(五線譜)と同じく5列。

そして、上の写真↑
塔の上や下の階のバルコニーのてすりの鉄細工、ト音記号の形のデザインです。

いくつかのバルコニーの手すりは、ベンチ付きのもあります。

Artistosteles, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

玄関は、北西の角にあり、4本の柱のポーチの上にはバルコニーと塔、塔の中は螺旋階段で上に登ると、カンタブリア海が展望できます。海まではそれほど遠くないこの場所は建物の周辺が丘に囲まれているため、わざわざこの目立つ塔を造って景色を楽しめるよう配慮されました。

Ana maria cuevas, CC BY-SA 3.0 ES Wikimedia Commons

柱の装飾は、小鳥とおそらくシュロの葉。ガウディの装飾に込められたメッセージにはいくつも解釈があると思いますが、小鳥は音楽好きのキハ―ノという事で、小鳥のさえずり、建物の中の窓ガラスにも小鳥がいます。また聖書では鳩は平和の象徴、シュロの葉は、イエスのエルサレム入りの際に使われた葉、宗教的な意味があるのかもしれません。

このように外観だけでも依頼主の喜ぶような装飾が施されています。

内部

これまた斬新なデザインで、植物の栽培が好きなキハ―ノのために大きな細長い楕円形の温室が南側にあり、その周りを囲むようにプライベートな空間と公的な空間が自然に分けてられています。(温室と部屋の間には通路があります。)

この公私のスペースを分けるスタイルは、イスラム建築でも行われていたこと、またタイルやレンガを使ったり、内部の天井やその他の装飾がムデハル様式の影響であったり、イスラム文化を意識しての物と思われます。

主寝室
Respinya, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

朝日を浴びて快適な朝が迎えられるように、東側には主寝室とバルコニー、またそのすぐ隣に身支度を整えるための浴室を配置しています。その後、食堂→サロン→応接間→玄関→プレイルーム(兼お客様用寝室)が南側にある温室の回りの通路を囲むような形で、東側はプライベート、西側の玄関に近いほど公的な部屋を設置しています。

浴室
Artistosteles, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

朝目覚めて、テラスで深呼吸して、シャワーを浴びて支度をして、食堂で朝ご飯、その後サロンでくつろいで、お客様が来たらこのサロンで、それほど親しくないお客様は隣の応接間へ、もしくはプレイルームへと、1日の行動の順番にも部屋が並んでいるのです。

メインサロン
Artistosteles, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

公私ともに空間の中心となるメインサロンの窓には仕掛けがあって、窓はテコの原理で開くようになっていて、音楽好きのキハ―ノのために、窓を開ける時わざと音が鳴るように造られています。

館内見学していると、音楽が聞こえてくる部屋があって、その曲はアマチュア音楽家キハ―ノの作曲なんだそうです。

プレイルーム
Zarateman, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

また西側から東側への地面の勾配を、半地下の部屋を造ることでカバーしています。(半地下の部屋は台所や作業部屋、おもに使用人用)

エル・カプリッチョのその後

建物を造り始めたのは1883年完成は1885年でしたが、キハ―ノはそれを楽しむ間もなく1885年47歳で亡くなってしまいました。

audrey_sel, CC BY-SA 2.0 Wikimedia Commons

その後、別荘を受け継いだ親族が建物の改装をして、キハ―ノが希望したガウディの設計とは少し変わり、ガウディのオリジナルの設計図も戦争中に紛失していまいました。建物はスペインの文化遺産に登録されますが、しばらくの間は放置されていたり、といろいろあり、1977年キハ―ノの子孫で最後の所有者が、ある実業家に建物を売り、その後なんとレストランとして建物を使っていた時代(1988年~2009年)もありました。(余談ですが、レストランオーナーの奥様は日本人、星付きの素敵なレストランでした。)

2009年に建物の老朽化で工事が行われ、その後は博物館として一般公開されています。

まとめ

Respinya, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

スペインの北の海岸沿い、東のバスク州から、カンタブリア州、アストゥリアス州、ガリシア州までグリーンスペインと呼ばれ、一般的に想像されがちな乾いたオリーブ畑のスペイン と言う雰囲気とは違い、山もあり海もありで、緑が多くイメージにあるスペインとはまた別の景色を楽しめるところです。スペインの巡礼の道の1本≪北の道≫があり、巡礼街道沿いのロマネスクの教会なども残っている地方です。

カンタブリア州には、有名な【アルタミラの洞窟】もあり、州都のサンタンデールも含めて見どころがいっぱいです。

その中でも異彩を放つガウディの【エル・カプリッチョ】、ここでは簡単に紹介しましたが、実際に訪れると、建物全体ガウディの世界、外にはきれいな花が咲いていたり、すごく素敵な所で、お勧めの観光地です。

北スペインに行かれる際には、是非立ち寄ってみて下さいね。

アントニオ・ガウディ
Artistosteles, CC BY-SA 4.0 Wikimedia Commons

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