スペイン世界遺産 セルバンテスの生まれ故郷『アルカラ・デ・エナーレス』

Mehmet A. Pixabayセルバンテス広場

スペインは世界で3番目に世界遺産の多い国です。
マドリード近郊にもいくつか世界遺産の街があります。

アルカラ・デ・エナーレスは、大学が特に有名で、国内外からの学生が、また語学習得のための留学生の姿もよく見かける、あまり観光地化されていない穏やかな街です。

現在のローマ法王(フランシスコ法王)は、1970年から1971年にかけて(34歳の頃)、イエズス会の最後の形成期間である第三修練のため、アルカラ・デ・エナーレスのイエズス会の学校で学ばれたそうです。

マドリードからも電車で約40分とそれほど遠くないので、日帰り(半日)で行けるお勧めの場所です。

世界遺産アルカラ大学と歴史地区 1998~

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アルカラ・デ・エナーレス

M.Peinado from Alcalá de Henares, España  セルバンテスの銅像

こんな所です

●マドリードの北東約35kmに位置するアルカラ・デ・エナーレスは、古代ローマ帝国時代は、コンプルトゥム(complutum)と呼ばれた街でした。

●イスラム支配下にあったころは、街の中心地がエナーレス川の左岸に移り、Al-Qalat-Nahar(エナーレス川の上の要塞)と呼ばれました。

●16世紀の初め、世界ではじめて大学を中心にした、計画的な大学都市開発が行われた街です。

●世界の大聖堂の中には、マヒストラルという称号を持っている大聖堂があり、この称号を持っている大聖堂は、世界に2つのみその一つがアルカラのマヒストラル大聖堂です。

●世界で聖書に次いで多くの人が読んだ大ベストセラー “ ドン・キホーテ ” の作者 ミゲル・デ・セルバンテスが生まれたのは実はアルカラの街です。

●アルカラの旧市街のアーケード(屋根付きの道)はスペインで一番長いアーケードです。

●スペインで使用中の劇場の中で、一番古い歴史の劇場があるのはこのアルカラ・デ・エナーレスです。

●冬から春にかけて、コウノトリの棲息地で、子育てをしている姿が、街のあちらこちらで見ることができます。

fotoTeeFarm Pixabay コウノトリ

見どころ

アルカラ大学

FDV / CC BY-SA アルカラ大学

ヨーロッパでは12世紀、のちに中世大学と言われるストゥディア・ゲネラーリア(一般学問所)が生まれました。これは、神聖ローマ帝国認定の教育機関で、それまでは各教会が学校代わりに教育を行っていたところが多くありましたが、それを学校という機関にしたもので、神学を学ぶ学問所と世俗を学ぶ学問所のいずれもがストゥディウム・ゲネラーレとして認定されました。

13世紀にストゥディウム・ゲネラーリアとみなされていたのは、ボローニャ大学、パリ大学、サラマンカ大学などで、ヨーロッパの歴史のある古い大学の始まりがこの時代でした。

1293年、当時のカスティージャの国王より、アルカラ・デ・エナーレスにストゥディア・ゲネラーリア(一般学問所→中世大学)の建設が許可されました。

のちにここの卒業生となるのが、アルカラの大学建設に大きなかかわりを持つ、シスネロ枢機卿です。

カスティージャ国王サンチョ IV の許可証

ミニ人物史】シスネロ枢機卿は1436年マドリッドの貧しい家に生まれた。学問を好みアルカラのストゥディア・ゲネラーリアで言語学、その後サラマンカ大学で法学と神学を学び、ローマにわたり法王からも一目置かれる人物であった。スペインに戻り聖職者としての地位を固めるものの、突然戒律の厳しいフランシスコ会に地位も財産も捨て入会。その時、かつての恩師でもあるメンドーサ卿からイサベル女王の摂政になることを勧められ、フランシスコ会の戒律を守りながらイサベル女王の絶大な信頼を受ける摂政に、またトレドの大司教の地位につく。当時のトレドの大司教はスペインのどんな貴族よりも力があったころ、その司教区の経済力もあり、様々な事業を始める。その一つが、アルカラ大学。イサベル女王亡きあとは、狂女王フアナに代わって国政、その後カルロス一世の信頼も受けた、15世紀から16世紀のスペイン史、黄金期幕開け時代の権力者であった。
ちなみに、枢機卿という地位は、ローマ法王の直接の部下みたいなもので、法王に次いでカトリックの世界では高い地位。

Alvy / CC BY-SA シスネロ枢機卿

15世紀のスペインで、政治、宗教の中心人物であったシスネロ枢機卿は、アルカラのストゥディア・ゲネラーリア(一般学問所→中世大学)を正式な大学にするべく、ローマ法王の許可をもらい、アルカラ・デ・エナーレスのローマ時代の呼び名、コンプルテンセ(コンプルトゥム)をとって、コンプルテンセ大学を創り1499年に開校しました。(一般学問所→中世大学としての開校は1293年)

この時、シスネロ枢機卿は、全く新しいタイプの都市改革を行いました。

街に大学を造って人が集まる…ではなく、大学を核にした街造り、大学のために街をつくる、大学都市計画です。この大学都市計画はそれまで他のどこにも例がなく、その後のヨーロッパやアメリカの都市開発のひとつの見本となった画期的なものでした。

コレヒオマヨール・デ・サン・イルデフォンソを本校舎とし、いくつもの校舎が造られていきました。
この本校舎は、サラマンカ大学や、セゴビアの大聖堂などの設計をした、当時のスペインで特に人気、実力のあったロドリーゴ・ヒル・デ・オンタニョンの作品です。特に正面玄関の装飾が有名ですので、ぜひご覧いただきたい、スペインルネッサンスの傑作です。

Mnemorino / CC BY-SA アルカラ大学正面装飾

コンプルテンセ大学(アルカラ大学)がもう一つ有名なのは、聖書の4言語による翻訳=コンプルトゥム多国語対訳聖書(ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、アラム語)を行ったことです。4言語同時に参照できるようにしたもので、第6巻。1502年から1517年、15年にわたって多くの文献資料を取り寄せ、新訳聖書、旧約聖書すべてが翻訳されています。約600の写本が作られローマ法王に送られましたが、そのうちの多くは船の難破で消えてしまいました。今でも123冊が現存しているそうです。

コンプルテンセ大学は、開校当時から、人文科学・哲学部、神学部、教会法学部、文献学部、医学部の5つの学部があり、16世紀から17世紀のあいだ世界の学問の中心地のひとでした。

また、世界の大学のなかでも特に早いうちから女性に博士号を与えた大学のひとつです。(1785年)

コンプルテンセ大学は、19世紀にマドリードに移転することになり、アルカラの校舎は、その時一旦閉鎖されました。1975年、コンプルテンセ大学の学部の一部が再びアルカラの校舎を使用することとなり、その後1977年、新しくアルカラ大学として設立されることになりました。

大学内部は、ガイド付きで見学ができます。(時間があるなら、一見の価値大ありです)
●入場    ガイド付き観光 €6
● 営業時間 月曜~金曜   11:00, 12:00, 13:00, 16:00, 17:00, 18:00
      土、日曜、祝日 11:00, 12:00, 13:00 14:00,16:00,17:00 ,18:00
※式典が行われるときは、時間変更有り   

セルバンテスの生家

Carabo Spain Pixabay

有名なドン・キホーテの作者、ミゲル・デ・セルバンテスは、1547年9月29日、この街で生まれました。今ある家は、20世紀になって修復をしたものですが、修復前の、装飾などの調査の結果、実際にこの家が、セルバンテスの時代のものだということが証明されていて、修復後は博物館として一般公開されています。

内部は、当時のかなり裕福な家の様子が再現されています。セルバンテスは、裕福な家庭で生まれ育ったわけではないそうで、ある程度の大きさの家を、数家族で共同で使用していました。

中庭を囲んだ建物は、当時の台所や、居間、寝室、また、セルバンテスの父親は外科医(と言っても、当時は床屋髭剃り屋に毛が生えたようなもので、血を出して悪いところを治療する)で、その診察室や道具などが展示されている部屋などがあります。

Benjamín Núñez González / CC BY-SA
当時の外科診察室

マヨール通り沿いの家で、家の前のベンチには、ドン・キホーテとお供のサンチョ・パンサの銅像がありますので、すぐにわかります。家の横には、Hospital de Antezana という1483年に創業の病院があり、セルバンテスの父、ロドリーゴは、ここで働いていたとされています。今現在も高齢者の施設として使われている建物です。

Pedro Requejo Novoa / CC BY-SA セルバンテス生家前

●入場  無料
● 営業時間 火曜~木曜 10時~18時(水曜 ~14時までは60歳以上の方のみ)
       金曜~日曜、祝日 10時~19時
       毎月曜、1月1日、6日、5月1日、12月24、25、31日休館

セルバンテス広場

かつては、プラサ・デ・メルカド(マーケット広場)と呼ばれていたところで、毎週この広場で青空市が立ち、闘牛や、お祭りなどを行っていた、街の中央広場だったところで、今でも、アルカラの人達の憩いの広場で、現在は真ん中に置かれている街の有名人、セルバンテスの名前で呼ばれています。

Raimundo Pastor / CC BY-SA セルバンテス広場

広場にある、屋根付きの円形のステージは、コンサートを行う音楽バンドのためのもので、屋外でも変わりやすい天候のために、また装飾の一部にもなっています。

Malopez 21 / CC BY-SA

コラル・デ・コメディアといって、16世紀~17世紀にかけて建物の中庭にステージを作り、その周りから劇を見るというスタイルの劇場が ありました。アルカラのコラル・デ・コメディアは、1601年に始まったもので、その後改装をしましたが、現存し、使用可能劇場としては、スペインで一番古い劇場です。この建物は、セルバンテス広場にあります。

Raimundo Pastor / CC BY-SA
アルカラのコラル・デ・コメディア
Pachug / CC BY-SA
(例)アルマグロのコラル・デ・コメディア

マヨール通り

旧市街のメインストリート、390メートルにも及ぶ柱で支えられた屋根付きの道で、アーケードとしては、スペインで一番長いものです。この辺りがローマ街道が通っていたところでもあります。

2階、3階の建物を柱のアーケードが支えるすごく印象的な作りで、もともとは、木製、その後14世紀に石で作られた円柱、そして19世紀に今の四角い柱にと代わっていきました。いまでもよく探すと円柱のものが残っています。

Hauser y Menet マヨール通り

地上階は、商売をするところ、2階、3階部分が住居として使われました。

32番地の柱をよく見ると、ほんのちょっとですが、赤、青、黄と16世紀に塗られた色が残っています。

スペインにはかつて、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教と三大宗教が一緒に存在していて、15世紀以降キリスト教以外は追放となっていきますが、アルカラの街にもかつてユダヤ教の人達が住んでいて、彼らの祈りの場所シナゴグも2つ存在していたそうです。37番地の横の細道の奥には、その1つがありました。

もうひとつ面白いものが、Mirilla(ミリージャ)という のぞき穴です。
13番地、もしくは32番地、入り口のドアの前に立って、真上を見上げると、10㎠くらいの四角い穴があいています。これは、ユダヤの商人たちが使っていたもので、誰がドアをノックしているのか、上の階からのぞいて見ることができ、確認ができて、中に入ってもらう時、わざわざ入口まで鍵をもって降りなくても、その穴から鍵をおとして渡すことができる、便利な穴でした。

セルバンテスの生家は、この通り48番地。

バルやレストラン、革製品や小物や雑貨の店などがある、賑やかな歩行者専用路です。

マヒストラル大聖堂(Catedral de los Santos Justo y Pastor)

Raimundo Pastor / CC BY-SA マヒストラル大聖堂

キリスト教がローマ皇帝によって公認されたのは、313年(ミラノの勅令)、それまでは、キリスト教に対する弾圧が行われていて、多くの信者たちが信仰のために命を落としました。

ローマ皇帝の中でも、特に厳しくキリスト教弾圧に力をいれた2人のうち1人がディオクレシアーノ帝で、彼は自らスペインに来て,アルカラの街でもキリスト教信者は全員処刑、もしくは改宗を求めるおふれを出しました。

304年、信者のうち、フスト(Justo13歳)、パストール(Pastor 9 歳)の2人は、皇帝の圧力に屈することなく、子供ながらに信仰を貫き、殉教死してしまいました。

その後、キリスト教は公認され、2人が処刑された場所に、お墓を祀る礼拝堂が作られたのが5世紀のはじめ、その後教会を建て、それがこの大聖堂の歴史のはじまりでした。その周辺に人があつまり、当時のコンプルトゥムは少しずつ大きくなっていきました。

11世紀、イスラム軍によっていったん取り壊された教会を、レコンキスタの後再建したのが12世紀。

Zarateman / CC0 フストとパストールのお墓

15世紀には、当時の法王から、コレヒアータ=大学教会(大学教会は大聖堂に似ていますが、司教座はなく、教区もありません、が、大聖堂と同じような名誉ある教会)の承認を得ました。

そして、16世紀には、シスネロ枢機卿の働きかけの結果、法王レオン10世によって大学教会マヒストラルへとランクアップし、それにふさわしい建物をと教会の再建が行われました。
マヒストラルというのは、その教会にかかわるすべての聖職者は、大学で神学の博士課程を修了していなければならない、というもので、世界に2つしか存在しません。(もう一つは、ベルギーにあります)

アルカラの歴史でとくに大事な人物、シスネロ枢機卿のお墓は、アルカラ大学内のサン・イルデフォンソ礼拝堂にありますが、実は、中は空で、遺体はこの大聖堂内に埋葬されています。

最終的に1991年に、大聖堂となり、現在はマヒストラル大聖堂。

大聖堂の塔の建設は、本体よりちょっとだけ後で、設計を担当したのは、アルカラ大学の正面玄関の建物を設計したロドリーゴ・ヒル・オンタニョン。(セゴビアの大聖堂、サラマンカ大学の正面の設計者)

登るとアルカラの街が一望できお勧めの塔です。

Raimundo Pastor / CC BY-SA 大聖堂の塔 螺旋階段

●入場    ガイド付き観光€3、ガイドなし€2、 塔 €2
● 営業時間 月曜~土曜 10時~13時30 16時~18時45分
      日曜     17時~18時45分

※内部見学の際は、服装に気を付けましょう。基本的にどこの教会も、ノースリーブや短パン、露出の多い服装での入館不可。

グルメ

《郷土料理》

カスティージャと、ラ・マンチャ地方で代表的な、【 ニンニクスープ(sopa de ajo)】や、チョリソや目玉焼きが乗った【ミーガス・マンチェガ(migas manchega】は、アルカラの郷土料理として人気があります。

Nanow jesús CC BY-SA  ミーガス

ミーガス】は、かたくなったパンを小さく切ったものを水で湿られせ、オリーブオイルとニンニクで炒めたもの、豚の脂身、チョリソを刻んだものを少し加える。卵をのせたり、ぶどうと一緒にサービスされたりする家庭料理。

《お菓子》

【ロスキージャ デ アルカラ(rosquilla de alcala)】=アルカラ風ドーナツ
【アーモンド・ガラピニャーダ(almendra garapiñada)】アーモンドに溶かした砂糖をからめたもの
【テハ・デ・アルカラ(teja de alcalá)】瓦型のアーモンドクッキー などが有名

chicadelatele / CC BY  アルカラ風ドーナツとテハ(瓦型のクッキー)

マドリードからのアクセス

【電車】RENFE CERCANIAS C-2 (ATOCHA -ALCALA DE HENARES 約40分)
    ※予約不要 当日チケット売り場でチケット購入

【バス】AVENIDA DE AMERICA(バス、地下鉄乗り入れの駅)バス№223
    ※予約不要 当日バスの運転手さんに直接お金を支払う