マドリードの穴場観光「デボー神殿」

マドリードにある一番古い
建物、知ってますか?

Diego Labandeira Pixabay
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マドリードで一番古い建造物

マドリードの街は、先史時代から人は住んでいて小さな集落はありましたが、歴史に残るこの街の始まりは、8世紀のはじめにイベリア半島に侵入してきた イスラム軍の 北の砦として、ムハンマド1世が基盤を置いた854年です。

マンサナーレス川沿いのこの場所は、アラブの言葉でمجريط Maǧrīţ → 古いスペイン語でMagerit(マジェリット)「水が豊富な場所」と呼ばれました。

(近年の調査で、マドリード市内から、紀元前2世紀ごろのローマ時代の遺跡などが発見されているので、イスラム軍以前の記録もそのうちもっと明らかになるかもしれません。)

デボー神殿(マドリード) I, איתן6, CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons

854年にムハンマド1世が砦を作ったのが、現在のマドリードの王宮のあたりで、そこから遠くない徒歩10分ほどのところに、デボー神殿があります。

実は、このデボー神殿、エジプトからスペインに贈られたもので、もう2,000年以上の歴史を持った建物、そんな古い、まだマドリードの街の名前さえ存在していなかった時代の物が、この街の一番古い建物です。

デボー神殿

この神殿がもともと造られたのは、エジプトのナイル河口のヌビア地方、ヌビアは、「金の国」と言われたほど、金、革、黒檀、象牙などの豊かな資源があり、アフリカと地中海との間の商業取引、文化交流で栄えていた地方でした。

その中の小さな村が、DEBODデボーの村。
そこに紀元前200~180年頃、古代エジプトの神 ≪太陽神アモン≫、そして、その後≪豊穣の女神イシス≫を祀るために造られた神殿が、デボー神殿でした。

Elia López G. Pixabay

デボー神殿には、エジプトの神を崇める巡礼者たちが多く集まっていた時代もありましたが、535年頃、ローマの皇帝の政策で、この辺りの住民のキリスト教化が行われ、神殿は閉鎖されてしまいます。

その後、18世紀に入るまで、公的な調査や、資料などはなく、1737年デンマークの調査隊、そして、1813年ナポレオンの命令で、スイス調査隊が当時の神殿の状態と、その周辺の地域の調査を、また他にもヨーロッパからの調査のグループがこの地を訪れて記録を残しました。

神殿が閉鎖され、ほぼ放置状態になったのが6世紀、それから18世紀まで約1,200年もの時間と、1868年大きな地震によって、デボー神殿は、かなり廃墟と化していました。

デボッド神殿解体前

アスワンダム

エジプトでは、ナイル川の氾濫防止と灌漑用水の確保のために、1907年アスワン(ロウ)ダムを作りました。これにより、周辺の街と農作物の保護などの成功面とともに、ヌビア地方の遺跡が、水没してしまうという状態にもなってしまいした。

1959年、先のダム(アスワンロウダム)では不十分という事で、エジプトの国家事業の一つとして、もっと大規模なアスワンハイダム(初めに作ったダムより6kmほど上流に作った)を作ることを発表しました。

NASA, Public domain, via Wikimedia Commons
アスワンハイダム

これを受けて、UNESCO ユネスコが、ヌビア遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60ヶ国の援助により、この地方と遺跡がダムの底に水没して消えてしまわないよう遺跡の移転作業が行われました。

ヌビア遺跡の救済

その呼びかけに応えた国の一つがスペインでした。

ヌビア遺跡救済の支援金だけではなく、有名なアブシンベル神殿をはじめとした、神殿や、その他の遺跡の救済のため、スペインからもかなりの数の専門家たちが作業に協力をしました。

この救済キャンペーンの結果、アブシンベル神殿は約60m上方、ナイル川から210m離れた丘へブロック状に分割され移送され再度組み立てで、水没することなく、今でもエジプトの大事な観光資源にもなって保護されています。

Olaf Tausch, CC BY 3.0 via Wikimedia Commons
アブシンベル大神殿
Public domain, via Wikimedia Commons

デボー神殿の移送

1968年、エジプト政府は、ヌビア遺跡救済のお礼として、スペインにデボー神殿を寄贈することを発表しました。

1970年、ブロック状に解体され、エジプトのアレキサンドリアの港から、スペインのバレンシアの港まで、その後陸路でマドリードまで運ばれました。

分割された神殿には、ブロックごとに番号が振られてあり、それがどの部分の物なのかがわかるように簡単にまとめられたスケッチが一緒に送られ、それをもとに、パズルを埋めていくような状態で、復元作業が行われました。(実際ブロックにある番号と、スケッチとが合致せず、かなり間違えた情報になっていて、作業は難航したそうです。)

David Adam Kess, CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons

ブロックが欠けていたところもあり、同じような柔らかい種類の、わざと色が少し違う石(サラマンカのビジャマジョールの石)を入手し、オリジナルとそうじゃない石との区別がつくように、また、もともと神殿があった方向に向くように配慮され、約2年かかって1972年復元が終わりました。

回りに浅い囲い用の池を作り、ナイル川のほとりにあった神殿の様子を再現しています。

世界遺産のはじまり

1972年11月、ヌビア遺跡救済のあとのユネスコ総会で、世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)が成立し、1975年に正式に発効されました。
(ヌビア遺跡群は、1979年文化遺産として登録されました。)

ヌビア遺跡救済のニュースが、世界に、文化と自然の保護に大きな関心を持たせる大事なきっかけとなりました。

Tamorlan, CC BY 3.0 via Wikimedia Commons

世界遺産条約に賛同する国は、1975年当初は20か国でしたが、現在194か国、1,121件の世界遺産が登録されていて、スペインは、イタリア、中国に次いで世界で三番目に世界遺産の登録が多い国(48件)です。

神殿の保護

Yulia Kuprina, CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons

エジプト政府は、マドリードのデボー神殿以外にも、いくつかの神殿を他の協力をしてくれた国へ寄贈しました。

●デンドゥール神殿(DENDUR) メトロポリタン美術館 ニューヨーク(アメリカ)

●エリシー神殿 (ELLESIYA) エジプト博物館 トリノ(イタリア)

●タフェ神殿(TAFFA)国立古代博物館 ライデン(オランダ)

●カラブシャ神殿の門 (PUERTA DE KALABSHA) エジプト博物館 ベルリン(ドイツ)

スペイン以外に送られたこれらの神殿は、全て博物館、美術館内に展示されています。

エジプト政府の他国への神殿寄贈にあたって、神殿の保護、管理は絶対条件であり、近年 エジプトの考古学研究の学者などの意見、要請もあり、マドリード市長が、デボー神殿も今後、神殿を保護する建物をまわりに造る計画がある事を2020年2月に発表しています。

デボー神殿の場所

デボー神殿がある場所は、マドリードの西公園の一角で、奥の方に行くと、マドリードの街が、とくに旧市街地のスカイラインが見渡せる展望台になっています。

神殿は、西向きに置かれていて、神殿と夕日の景色は幻想的で、一見の価値ありです。

https://www.flickr.com/photos/jiuguangw, CC BY-SA 2.0 via Wikimedia Commons

また、内部も見学できるようになっています。(※営業日、時間は変更があるので、要確認)

入場料  無料
営業時間10:00~19:00(火曜日~日曜日)
閉館月曜日、1月1日、6日、5月1日、12月24日25日31日

スペインの旅行中に、他にもいっぱい行きたいところがあって、なかなか古代エジプトの神殿までは、時間がないかもしれませんが、これもスペインの歴史の一部です。神殿のまわりの散歩だけでもほっとできる空間です。朝のお散歩にもお勧めです。