プラド美術館の雑学

プラド美術館のあまり知られていない 雑学です。

:Emilio J. Rodríguez Posada, CC BY-SA 2.0 via Wikimedia Commons
プラド美術館正面 ベラスケス門
スポンサーリンク

プラド美術館が開館したのは?

●プラド美術館がオープンしたのは1819年11月19日です。

●当初は、週に一回だけ開館、誰もが入場できるわけではなく、推薦状を持っている人たちだけでした。

プラド美術館の名前は

●プラドというのは、草地という意味。

Donations_are_appreciated, CC0, via Wikimedia Commons
プラド美術館現在(サンヘロニモレアル教会側)
19世紀プラド美術館(サンヘロニモレアル教会側)


美術館のすぐ横に、サン・ヘロニモ レアル教会という16世紀に建てられたかつての王家の礼拝堂で、修道院だった建物がありますが、そのヘロニモの草地と呼ばれていたのが、現在のプラドの建物がある場所とその周辺地区です。修道院だった部分は、修復を行い現在はプラド美術館として使用中です。

サン・ヘロニモ・レアル
Jorge Láscar from Bogotá, Colombia, CC BY-SA 2.0
via Wikimedia Commons
サン・ヘロニモ修道院の中庭だったところ

●プラド美術館の奥には、レティーロ公園があります。ここには1590年から1660年にかけてパラシオ・ブエンレティーロという王家のセカンドハウス(?)兼レクレーションのために造られた宮殿があり、まわりにもいくつかの宮殿が建てられました。

ブエンレティーロ宮殿(17世紀)

ほとんどの建物は、19世紀のはじめナポレオン軍に攻撃され壊されて、撤去されましたが、残った建物のひとつが、カソン・デル・ブエンレティーロという建物でプラド美術館の別館、この建物は、ピカソのゲルニカがスペイン国内で初めて展示された場所(1981年~1992年)でもあります。

カソン・デル・ブエンレティーロ(プラド別館、ピカソの『ゲルニカ』がスペインで初めて展示された場所)
Xauxa Håkan Svensson, CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons

もともとは、自然科学博物館になる予定だった建物

●現在美術館として使用している建物は、1785年当時の国王カルロス3世によって建てられたもので、当初の予定は、美術館ではなく、自然科学博物館にする予定でした。

●その頃ナポレオン軍との戦争でマドリードはナポレオンの支配下におかれ、ナポレオンが去った後、国王フェルナンド7世によって(王妃マリア・イサベル・デ・ブラガンサが特に美術館開館に尽力した)美術館になりました。

フェルナンド7世
マリア・イサベル・デ・ブラガンサ

●プラド美術館と呼ばれるようになったのは1920年、1819年開館当時は王立絵画・彫刻美術館、その後1868年に国立絵画・彫刻美術館になり、最終的に国立プラド美術館と名前が代わっていきました。

作品の数

●1819年に開館当時の作品数は、311点。すべて王家のコレクションでした。その中には、『ラスメニーナス』(ベラスケス)、『小鳥のいる聖家族』(ムリージョ)、『馬に乗ったマリアルイサ女王』(ゴヤ)もすでに含まれていました。
現在作品数は、

●絵画 約8000点
●描画 約9000点
●彫刻 約1000点
●調度品 約3500点
●武器・鎧 39点
●地図 155点
●ポストカード、カード 526点
●その他
プラド美術館は約33,000点の作品を所有しているそうです。

●そのうち、常設で展示している絵画は、約1700点、特別展示が約550点、それ以外は別の美術館もしくは、倉庫保管

展示室

●全部で121の展示室
●面積41,995㎡(そのうち作品を展示している場所だけを合計すると、14,048㎡、サッカーのレアル・マドリードのスタジアム、サンティアゴ・ベルナベウの面積の約2倍だそうです)
●展示室にはそれぞれ番号が付いていますが、13番の部屋はありません。(縁起が悪い数字)

館内温度

●平均して22℃(±1℃)
●湿度 50%
●照明 40lux

女性芸術家は何人?

●男性アーティスト 4926人
●女性アーティスト  32人
●200年のプラドの歴史の中で女性の館長は一人もいません

作品のサイズ大小

一番大きな作品は、561cm x 728cm『La visión del coloseo El ultimo martir』José Benlliure y Gil
(この作品は現在別の場所に展示中)

一番長い作品は、280cm x 952cm 『Degollacion de San Juan Bautista y banquete de Herodes』Bartholomeus Strobel

一番小さな作品は、11cm x 8.5cm 『Carlos Ortiz de Taranco』Federico de Madrazo
(現在保管中)

ピカソが館長だったことも

●1936年から1939年にかけて、ピカソはプラド美術館の館長に任命されていて、給料ももらっていたようです。ただ、その期間スペインはちょうど国内では市民戦争の時代で、ピカソ自体はパリにいたので、実際館長としての任務は全く果たしていませんでした。

パブロ・ピカソ
Argentina. Revista Vea y Lea, Public domain, via Wikimedia Commons

ベラスケス

●ベラスケスの『ラスメニーナス』は、プラド美術館門外不出、絶対貸し出しをしません。


(ちなみにボスの『快楽の園』も貸し出ししません
ベラスケスの作品は一度に7枚以上は、貸し出しをしません

ラスメニーナスが一度だけ外出したのは?

●門外不出のラスメニーナス、実は一度だけ(命がけの?)旅をしました。
スペイン市民戦争(1936年から1939年)の時、ラスメニーナスだけではなく、他のプラドの作品や、マドリードの他の美術館の作品も安全確保のため、かなりの作品がマドリード→バレンシア→フランス→スイス(ジュネーブ)まで移送されました。全部で1868箱、総重量140トンにも及ぶ作品をトラックで運び、その中には、ベラスケスの『ラス・メニーナス』や、ゴヤの『1808年5月2日』『1808年5月3日』、またグレコ、ティツィアーノ、ルーベンスなどの作品も含まれていました。トラックでデコボコの道を、途中爆弾で壊れた建物にトラックが激突して、激しく痛んでしまった作品などもありました。1936年11月にマドリードを出て、戻って来たのは1939年9月、帰路は列車も使いましたが、第2次世界大戦が始まったばかりの頃の大変な情勢のなかでした。

いちばん貸し出しが多い絵は?

●ゴヤの『着衣のマハ』と『裸のマハ』は、距離にすると一番長い距離を移動しています

実は貸し出し回数が多いのは、ゴヤの『自画像』と、

ゴヤ自画像

●フランシスコ・デ・スルバランの『Agnus Dei

スルバラン『Agnus Dei』

いちばん絵が多い画家は?

●ゴヤの作品がプラド美術館では一番多く、152点、プラドで一番多く場所を使っているのがゴヤの作品

訪問者

●毎年約300万人の訪問者のうち、約40%がスペイン人、60%が外国からの訪問者で、一番多いのは、イタリア人、次が韓国人、フランス人、アメリカ人の順です。

プラドが購入した絵で一番高価な絵画


●2000年に、ゴヤの『Condesa de Chinchón』
€24,000,000(30億円相当

●2003年に購入したベラスケスの『Ferdinando Brandani』
€23,000,000(28億円相当


●2016年には、フラ・アンジェリコの『La Virgen de la granada』
€18,000,000(22.5億円相当

いちばん初めに購入した絵

●いちばん初めに購入した絵 ホセ・リベラ『三位一体』

ホセ・デ・リベラ『三位一体』

プラドのモナリザ

●プラド美術館のモナ・リザ。有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』のコピーはたくさんあり、このプラド美術館のモナ・リザも、そのたくさんの中の一枚だろうと、ほとんど注目されていませんでした。
2012年の修復作業の結果、修復前には真っ黒で見えなかった背景も鮮やかに復元され、調査の結果、もっとも初期の頃のコピーで、ダ・ヴィンチが実際にモナ・リザを描いていた工房で、ほぼ同時期に描かれたものだという事が確認されています。(ダ・ヴィンチの弟子作)

モナ・リザ(修復前)
モナ・リザ(修復後2012年)

出入口が4か所ある

●プラド美術館には出入口が4か所あります。
 ○ベラスケス(正面玄関)ここからは、通常は出入りできません
 ○ゴヤ チケット売り場の上の入り口(ここは意外とすいています
 ○ムリージョ チケット売り場のあるゴヤ門と正反対なので、ちょっと面倒かも)
 ○ヘロニモ 通常ほとんどの入場者はここから入ります

写真引用 credit : Public domain, via Wikimedia Commons