「トラスウマンシア」羊のパレード in マドリード

Foto ljimfer

毎年10月の終り頃、マドリードの街のど真ん中を羊の群れが行進します。

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約1,500頭の羊のパレード

マドリードでは、特に春から秋にかけて、街の中心地の大通りを通行止めにして、ほぼ毎週末、各種催しものが行われます。市民マラソン大会や、ゲイのパレード、犬のマラソン大会と色んな事が企画されて、街が活気づくのですが、中でも子供たちが(いや、大人も)とても楽しみにしているのが、10月末頃街にやって来る羊の群れのパレード【トラスウマンシア】です。

Foto ljimfer マドリード マヨール通り


マドリード州の北側にあるカスティージャ・イ・レオン州から、約1,500頭ほどの羊の群れと、羊の群れに紛れて山羊と他の家畜も、そして、伝統的な衣装を着た羊飼いの方々も一緒です。

トラスウマンシア(移牧)の歴史

スペインでの移牧(季節ごとに決まった放牧地間を移動する放牧の一形態)の歴史はとても古く、紀元前5世紀くらいにヴェットーヌ(vetones)という民族の頃からと言われます。

Asqueladd, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons 赤い所がヴェットーヌが住んでいた地域

サラマンカ、アビラ、セゴビア、カセレスなど、ヴェットーヌが住んでいた地域には、ヴェラコ(verraco)と呼ばれる、花崗岩で造られた動物の石像が残っているところがあり、ヴェラコの起源も諸説ありますが、一つの説では、放牧地の境界線の目印のために置かれたのではないかと言われています。

Mr. Tickle, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons ヴェラコ

夏の暑い季節には北のアビラやサラマンカ周辺へ、そして冬の寒い季節には南のカセレスの方へと、草と穏やかな気候を求めて移牧していました。彼らが羊を連れて移動をしていた道は、その後ローマ帝国時代に入って、銀の道とよばれた当時の主要幹線の一部でもあり、しっかりとした経済活動のあとが残っています。

スペインには、8世紀の初めにイスラム教徒が攻めてきて、その後約800年にわたりスペインとイスラム教徒軍とは戦争を繰り返していた時代がありました。

その時代スペイン軍が支配している街と、イスラム教徒軍が支配している街は、お隣さんという事はなく、100㎞位は離れたところにあって、その間は人も住んでいない大地が広がっていましたが、一生懸命に農作業をしても、敵が攻めてきたら畑は戦場、収穫に至る前に畑がダメになることが多く、大地は手付かずのまま、逆に放牧にとっては好条件ではあるけれど、いつ敵が攻めてくるかわからない環境から少しでも離れたところにと、移牧の距離はしだいに延びていきました。

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13世紀の初め、当時のこの地方(カスティージャ王国)のフェルナンド3世という王様の時代、一気に南のアンダルシアのあたりまで領土奪回(国土回復=レコンキスタ)に成功します。

この頃には、移動牧畜業者組合(同業者組合=ギルド)が存在していて、この組合をメスタ(mesta)と呼び、各地方の業者間の放牧地の配分など、利害の調整を行っていました。1273年アルフォンソ10世の時代、地方メスタの全国組織として成立したのが、メスタ評議会です。彼らは王様より牧羊移動道と牧草地に関する特権や裁判権を与えられました

Foto ljimfer カニャダレアルの途中の休憩所跡

それとともに王様は、特定の道路の規制、管理も行い、領土内全てのメスタを保護しました。この保護された移牧のための道をカニャダ レアル(王立の移牧道)といい、主なカニャダレアルは10本です。

Diotime, Public domain, via Wikimedia Commons
移牧のルート

メリノウールと言えば今でも最高品質の羊毛で、現在はオーストラリアやニュージーランドでも飼育されていますが、もともとは、北アフリカからイベリア半島に生息していた羊で、その質の良さからヨーロッパでは王侯貴族に大変喜ばれ、スペインではメリノ羊が外国に漏れないように ”王様たちは羊を連れて戦争に向かっていた” と言われるくらい大切にされたものでした。

14世紀に始まったフランスとイギリスの100年戦争の間、イギリスの羊毛産業に代わって、スペイン産のメリノ種の羊毛は、フランドルを中心に輸出を大きくの伸ばしました。羊毛産業は、スペイン経済を大きく担う産業のひとつで、メスタの保護はその後も続いていきました。

Foto ljimfer

しかしその後、王や貴族や聖職者などの権力者の利害もからみ、王家の財政が傾くと密輸同然に売買されたり、スペインがナポレオンの支配下におかれていた時代に、メリノ羊も戦利品としてかなりフランスに流れて行きました。

その頃になると、メスタだけが特権を与えられ保護されていることに 不満を持つ農民の抗議も抑えられなくなり、人口の増加により食料や、住居の確保のため、最終的にメスタは、1836年を最後に消滅してしまいました。

まとめ

メスタは消滅しましたが、カニャダレアルは、全てではありませんが今でも存在しています。もともとは、羊優先道だったので、住宅などはほとんどなかったところに、今は場所によっては個人の住宅の庭であったり、公道の一部であったり、例えばマドリードでは、アトーチャ通りという通りであったり、道筋は残っています。

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マドリード市がかつてのメスタとの間に通行許可の取り決めを行ったのは1418年、つまり、もう600年以上にわたってこの羊の群れはマドリードを歩く権利を持っていたわけです。

プエルタ・デル・ソル

現在は、人口の飼料もあり、移牧を行う理由はないのですが、長い歴史を持つ移牧の文化を、この先もスペインの子供たちに伝えて、またこの道自体を後世に残していく目的で、移牧の保護団体とマドリード市の協力のもと、1994年から、この羊のパレードが毎年市内で行われています。

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また移牧の数は減りましたが、羊たちが歩いて移動をする間に、食べる草の種が排泄物として土にかえり、また芽を出してと、長い長い時間とともにその地方の自然環境にも大きく関与していて、知らない間に環境保護の活動をしていることにもなります。

マヨール通り

このパレード、実際に見ると圧巻です。先住民ヴェットーヌの時代から始まり、中世のメスタとともに脈々と続けられた羊の大移動を実際に見て、子供たちだけではなく、大人も感動します。

もしこの時期にマドリードにいらっしゃることがあったら、ぜひぜひ、羊たちと羊飼いの方々のパレードに参加してくださいね。感動しますよ!!