11月9日はマドリードの守護聖母アルムデナのマリア様の日です。
マドリードは祝日でお祭りです。
アルムデナ大聖堂
マドリードに首都が定められたのは16世紀ですが、この街に正式に大聖堂が完成したのは20世紀でした。それまでマドリードには正式な大聖堂はありませんでした。
1993年までは、サン・イシードロ教会がマドリードの暫定の大聖堂でした。
首都の大聖堂が20世紀までなかった理由は
かつてスペインの首都はマドリードの南のトレドに置かれていました。トレドの街には、政治も経済、そして宗教もすべての権力が集中していました。
1561年、国王フェリペ2世の時代、王は首都をマドリードに移し、突然の遷都は周りの人たちを驚かせました。フェリペ2世がマドリードを首都に選んだ理由は、
1.イベリア半島のほぼ中心という、色んな意味でいい場所である
2.トレドでは、それまでのしがらみがあり、貴族、聖職者の力がありすぎる
3. 将来的に王の居住地として計画中のエル・エスコリアル(王の居住地、王家の霊廟、修道院が一緒になった建物)にトレドより近い
4.フェリペ2世は4回結婚しますが、3番目の王妃がトレドを毛嫌いしていた
これを納得できなかったのが当時のトレドの枢機卿で、ローマ法王にも訴えて、宗教の中心地をマドリードに移さないように圧力をかけたのでした。
その後、王が代わるごとにマドリードに大聖堂を造る計画は持ち上がりましたが、最終的に19世紀のアルフォンソ12世の時代まで、実現しませんでした。
アルムデナの意味は
スペインでは、8世紀から15世紀にかけてイスラム教徒軍と、土地を取られたり取り返したり、約800年もの間戦争をしていました。
8世紀、イスラム軍がマドリードを攻めてきたとき、街で大事に崇拝されていたマリア像を、イスラム軍から守らなければと、街のまわりの城壁の、ある場所に2本の火を灯したロウソクとともに隠しました。その後マドリードは11世紀の後半までイスラム支配下におかれました。11世紀マドリードを取り返したのはアルフォンソ6世という王で、街の人達が2世紀にわたって伝えてきた、壁に隠したマリア像の話を聞き、探すことになり数日の祈りの後、薄暗くなった頃、壁の一部が突然崩れ、ぼんやりと灯りがともっていて、マリア像と火が灯ったロウソクが発見されました。アルムデナは、アラブの言葉で al-mudayna = 要塞(壁に囲まれた城とか場所)、マリア様が壁の中から守ってくれたからマドリードを取り返すことができたんだ・・・とこのマリア像を祀ることになりました。
現在大聖堂がある近くの壁、ここでマリア像が発見されましたという場所。
≪712年にここに隠され、1085年奇跡的に発見されました≫と書いてあります。
サンタ・マリア・デ・ラ・アルムデナ
現在のアルムデナ聖堂のすぐ近くにマヨール通りがあります。この通りの入口のあたりに、イスラム支配下の時代に造られたメスキータ(回教寺院)が昔あり、その後11世紀アルフォンソ6世がマドリードを取り返した時にメスキータ跡に教会を造り、そこにマリア像は祀られました。
その教会がサンタ・マリア・デ・ラ・アルムデナ教会で、1868年に撤去されるまでは、マドリードで一番古い教会でした。16世紀~17世紀にかけて、この教会を大聖堂にしようという話が持ち上がりましたが、これも実現しませんでした。
この教会を取り壊したのは、かなり老朽化していたことと、人口増加に伴って、街でも特に交通量の多いマヨール通りを拡張工事するためでした。
マリア・デ・ラス・メルセデス(大聖堂建設に力を注いだ王妃)
この頃、やっとマドリードに正式に大聖堂をという話が本格化していきます。
当時の国王はアルフォンソ12世、王妃はマリア・デ・ラス・メルセデス、彼女が17歳の時に嫁ぎ、18歳という若さで亡くなってしましました(1878年)。この王妃は信心深い女性で、特にアルムデナのマリアを熱心に信仰し、また、大聖堂をつくる事にも積極的で、王宮の敷地の一部をそのために提供し、そこに大聖堂が建てられることになりました。
1883年、マリア・デ・ラス・メルセデスの意志を継いで、アルフォンソ12世により大聖堂建設がはじまり、1993年、まだ未完成でしたが、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世によって”大聖堂”と聖別されました。ローマ法王によって、聖別された大聖堂は、スペインではアルムデナ大聖堂だけです。
大聖堂内には16世紀ごろ作り直したマリア像が祀られ、その下に、王妃マリア・デ・ラス・メルセデスが埋葬されています。
スペイン王家の霊廟は、エル・エスコリアルにあって、王と一緒に埋葬されるのは、次の王を生んだ王妃のみ、それ以外の方々のお墓は、エル・エスコリアル内の、その他の家族の墓に埋葬されるのですが、王妃の生前の希望で、是非アルムデナ大聖堂にという願いを王が忘れずに、王の遺言にもそのことが記されていたため、大聖堂となったあと、1999年に当時の国王フアン・カルロス1世が異例の許可を出し、エル・エスコリアル内の家族の墓から、大聖堂内に移されました。
完全に工事が終わったのは、2004年、現在のスペイン国王フェリペ6世の結婚式がその年の5月に行われることになり、内装(壁画)は、4か月足らずで仕上げて完成させました。
聖母アルムデナの日(マドリードの守護聖母の日)
聖母アルムデナの日は、11月9日、マドリードは祝日でお祭りが行われます。
前日から献花が始まり、当日は、ミサがあり、マリア像が街の旧市街地を歩きます。
マドリード市民は、チュラパという伝統的な衣装を着て、お祭りを楽しみます。
長い間、守護聖母としてマドリードの街に寄り添うアルムデナのマリア様、
これからも様々なことから街を守ってくださいますように!