スペインの国歌のお話

スペインの国歌 知ってますか?

2010年 サッカーワールドカップ優勝パレード スペイン代表

外国の国歌を聞くのは、オリンピックやその他のスポーツの国際大会の時、表彰台で選手が誇らしげに口ずさんでいたり、アメリカでは、スポーツ大会の開会式のオープニングで、アカペラで歌ったりしているのを見かけますね。

スペインも海外に通用する優秀な選手が、サッカーを始め色んなスポーツ競技で活躍して、優勝しますが、彼らが国歌を歌う事はありません。

なぜなら、スペインの国歌には、歌詞がありません。

えー!歌詞ないの!?
そうなんだー

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スペインの国歌の歴史 

スペインの国歌は、MARCHA REAL = 国王行進曲 と呼ばれるものです。

BOE, CC BY-SA 2.0 via Wikimedia Commons

興味があったテーマなので調べてみましたが、歴史的な背景もあって、ちょっと話がごちゃごちゃ長くなってしまったので、先に簡単にまとめた内容を。

スペイン国歌の歴史 その1(超簡単編)

【スペイン国歌の超簡単な歴史】18世紀に作曲された、軍隊のための行進曲が、王様の式典でも使用されるようになり、国の曲(国歌)として国民にも浸透していきました。歴史の中で、何度か違う曲を使用していた時期もありましたが、最終的には、18世紀からのなじみがあるこの曲、軍隊用の鼓笛隊の演奏用だったものを20世紀のはじめに編曲し、1942年正式に国歌としての使用が法的に決まりました。

という歴史です。以下、もうちょっとだけ詳しくまとめてみたので、興味がある方はどうぞ。

王宮(マドリード)

スペイン国歌の歴史 その2(ちょっと面倒編)

スペインでは、古くから、軍隊の移動の際の行進曲が、各隊によって使われていました。

1749年当時の国王フェルナンド6世の頃、大事な式典や王に対する敬意を払うような場において、軍団によってばらばらではなく、一曲を決めておこうという案が浮かびました。

1751年の資料によると、MARCHA GRANADERO 擲弾兵(てきだんへい=手榴弾を投げる兵隊)の行進曲というのが、この頃すでに存在していました。擲弾兵は軍のなかでも特に勇敢なエリート部隊で、彼らの移動の際には、この擲弾兵の行進曲を演奏することが決められていたようで、数ある行進曲のなかでも、ある程度知名度の高いものでしたが、まだ正式に楽譜は存在していなかったようです。

1761年、マヌエル エスピノサという人がまとめた、スペイン兵の行進に関する資料(スペイン歩兵 信号ラッパ 命令の本)の中に、はじめて正式にMARCHA GRANADERO 擲弾兵の行進曲が楽譜となって記されていて、そのため、この曲の作者は、マヌエル エスピノサだとする説もありますが、本当のところは、不明です。

このオリジナルの曲は、鼓笛隊の演奏で、国歌というよりは、もうちょっと軽い牧歌的な感じです。戦争の際の行進曲で使っていた楽器は、ピファノ(横笛)と太鼓でした。

1769年、国王カルロス3世の時代、他で使われていた行進曲も正式に楽譜にしてまとめ、公式行事や大事な式典では、MARCAHA GRANADERO 擲弾兵の行進曲を使うようになり、国民もそういう時に使う曲なんだと認識していきます。その頃は、MARCHA DE HONOR=名誉行進曲と呼ばれるようになります。

1808年から1814年はスペインはフランスのナポレオンとの戦争で、各戦場に向かう兵隊達の行進曲も、兵隊の移動とともにスペイン中に浸透していき、ナポレオン軍が去った後、フランス支配から解放されたスペイン人にとっての国歌のような存在だったのが、この曲。まだ、この時点では、国歌ではありませんでしたが、公式行事の時にはこの曲を使うという事がすでにかなり浸透していました。

1820年から1823年、ナポレオンの後の国王フェルナンド7世は完全王政復古の体制で、当時の自由主義者の政治家ラファエル リエゴを中心に反乱がおき、1812年制定のカディス憲法を復活させました。

この時、自由主義側の兵隊たちが、それまでのMARCHA GRANADERO に代わって、ラファエル リエゴの友人(?)が歌詞をつけた、別の曲を行進曲として使い始めました。

この曲は、HIMNO DE RIEGO リエゴ賛歌 と呼ばれ、王政反対の旗印のようになり、その後、第1次共和制(1873-1874)、第2次共和制(1931-1939)の時代もスペイン国歌のような扱いで使用されました(正式に国歌になったことはない)

1868年、今度は当時のスペイン女王イサベル2世の気ままな政治対する抗議で、セラーノとプリム将軍の蜂起から始まったスペイン名誉革命で、女王イサベル2世は外国へ亡命してしまいます。

1870年プリム将軍は、スペインの正式な国歌を決めるため、曲を公募し、447曲が集まり、当時の有名な作曲家、音楽家を審査員としたコンクールが行われました。

結果は、色んな出来事はあったにしても、国民に国の行進曲として浸透している行進曲 を別の曲にかえるのはかなり責任重大で、1871年当時の国王アマデオ1世(1870-1873)のもと、もともとのMARCHA GRANADERO が国の行進曲(MARCHA REAL)として使われることが正式に決まり(でもまだ国歌ではない)、新しい曲を選ぶことはできませんでした。

その後、1908年、バルトロメ ペレス カサス(1873年~1956年)によって、オリジナルの鼓笛隊用の曲が、編曲されました。これが現在のスペインの国歌、MARCHA REAL 国王行進曲で、法的に国歌として認められたのは1942年でした。

ちなみに、18世紀の曲を20世紀に編曲した時、著作権が発生しました

オリジナルのメロディーは、18世紀の作曲で、作者詳細は不明ですが、バルトロメ ペレス カサスの編曲に関しては、1907年なので、その後著作権がなくなるまでは、国は編曲をしたバルトロメ ペレス カサスとその子孫に、使用料を支払うことになりました。(当時は著作権保護期間は作者の死後50年、2018年に改正され現在は70年だそうです)

1997年、スペインは、当時の通貨ペセタで、130,000,000ペセタ、現在のレートで約1億円+著作権保護期間中の収入の5%を支払う事で合意し、編曲をしたバルトロメ ペレス カサスの家族から著作権を買い取りました。

その後また別の作曲家フランシスコ グラウがシンフォニーオーケストラ用に編曲もしています。(グラウは、著作権は放棄しています)

歌詞

スペイン国歌の歌詞は、歴史の中で何度も話は持ち上がりました。

国王アルフォンソ13世の結婚式用に、フランコ独裁政権時代に、臨時で歌詞が存在していたり、また、公募によって歌詞を決めようとしたこともあったようです。(リエゴ賛歌は歌詞がありました)

しかし、スペイン国内では、今でも、カタルーニャ州やバスク州の独立問題や、公用語もいわゆるスペイン語と言われるカスティーリャ語や、カタラン語、バレンシア語、ガリシア語、バスク語と多言語の国で、歴史的背景と言語問題でも歌詞を決めるのが難しい状況です。

陽気で明るいスペイン人ですが、歴史的には今でも解決できていない色んな問題があって、歌詞のない曲だけでも、国歌として認めたくないスペイン人もたくさんいます。

歌詞はないけど、歌いたい時は

歌詞はないのですが、スポーツ競技の表彰式などで、感極まった選手やファンは、
日本だったら、歌詞がわからない時には、ララララ~♪ですが、スペイン人は、lolololo…♪(ロロロ~♪)って歌ってます。

もしくは、勝手に好きな歌詞で歌ってます。

最近では、知名度のある歌手(マルタ・サンチェス)が自分のコンサートでオリジナルの国歌歌詞を作って歌って話題になりました。また別の歌手で、ホアキン・サビーナの歌詞もあります。

世界中で、国歌に歌詞がない国は4か国、コソボ共和国とボスニア・ヘルツェゴビナとサン・マリーノ共和国とスペインだけです。

色んな意味で、なかなか一筋縄ではいかない、スペイン(国)と、スペイン人です。

≪ちなみに、マルタ・サンチェス バージョンの歌詞≫

Vuelvo a casa, a mi amada tierra,la que vio nacer un corazón aquí.
Hoy te canto, para decirte cuántoorgullo hay en mí, por eso resistí.
Crece mi amor cada vez que me voy,pero no olvides que sin ti no sé vivir.
Rojo, amarillo, colores que brillanen mi corazón y no pido perdón.
Grande España, a Dios le doy las graciaspor nacer aquí, honrarte hasta el fin.
Como tu hija llevaré ese honor,llenar cada rincón con tus rayos de sol.
Y si algún día no puedo volver,guárdame un sitio para descansar al fin.

Marta Sánchez(2018)