マドリードと『猫』

スペイン語で≪猫≫の事を≪ガト(GATO)≫と言います。

マドリード生まれのマドリードっ子のことも ≪ガト=猫≫ と呼びます。

Simona Robová en Pixabay
スポンサーリンク

ガト(ねこ)

マドリード生まれの人がみんなガト(猫)と呼ばれるかというと、本来は、両親と祖父母全員がマドリード生まれの人の事をそう呼びます。

両親・祖父母全員がガト(猫)のケースは意外に少ないので、マドリードで生まれ育った人の事を一般的にガト(猫)と呼んだりもするようです。

ガト(猫)と呼ばれるようになったのは

いくつか説がありますが、

kejamy en Pixabay

いちばんよく言われる説

マドリードの街は854年、イスラム軍の王様モハメッド1世が Magerit(水が豊富な場所という意味)という名前で作った街で、街のまわりは、マドリッド郊外から持って来た石で作った強固な壁に囲まれた街でした。壁の高さは12ⅿほどもあり、入り口の門は3つありましたが、どこもしっかりと見張られた、要塞都市でした。

マドリードの街は何度も攻撃されましたが、毎回失敗に終わり、攻撃をうけるたびに、ますます警備が強化されていきました。

1085年、当時のカステーリャ王国のアルフォンソ6世の時代、またマドリードを攻めに来た時、その壁を前に、どう攻めたものかと思っていたところ、兵隊の中の勇敢な1人の若い兵士が、剣を壁の隙間に突き刺しながら、スルスルと身軽に壁をよじ登っていったのです。 

それを見ていた王が、まるで猫みたいだ・・・と驚いている間に勇敢なその兵士は壁を登り切り、味方のために壁の上からロープをおろし、壁の上にアルフォンソ6世の旗を立て、それを合図に攻め込み、難攻不落のマドリードを手に入れました。

その時から、この兵士の事をみんながガト(猫)と呼び、その家族もそう呼ばれ、いつしか苗字としてガト(猫)と名乗るようになったのだそうです。

そして、いつの間にか、その兵士の家系だけではなく、マドリード生まれの人達のあだ名が、ガト(猫)になったという説。

税金を払いたくなくて

もうひとつの説は、昔マドリードの街に入るには、税金を払わなければいけなかった時代があり、その税金を払いたくない人たちが、こっそりと、ガト(猫)のように壁をよじ登って、街を出入りしていた、というもの。

Mabel Amber en Pixabay

マドリードっ子は夜行性?

もうひとつは、

マドリードの人は、何か軽くつまみながら、ビールやワインを飲んで、夜の街を楽しむのが大好きだから、夜行性のガト(猫)と同じだと。そしてシエスタ=スペイン人の昼寝の習慣も猫に似ているから・・・と。

Михаил Прокопенко en Pixabay

だたこれはマドリードの人に限ったことでもなく、スペイン人全般に言える事です。夜出かけるのが好きで、できる事ならシエスタもしたい!!というスペイン人は多いはず。

そして、猫は夜行性と思われがちですが、実際は、夜行性ではないそうです。

道の名前にも

フアン・アルバレス・ガト Juan Álvarez Gato (¿1440? – 1509) 、はコロンブスの新大陸到達の資金援助をしたスペインの歴史の中でも特に有名なイサベル女王に仕え、また詩人でもあった人で、その功績を讃え、彼の名前はマドリードの1本の道の名前になっていますが、その苗字がガト(猫)。

道の名前のタイル Luis García, CC BY-SA 3.0 ES via Wikimedia Commons

イサベル女王の前にはエンリケ4世にも仕えていたという代々の名門で家系で、11世紀、壁を登ってガト(猫)と呼ばれ、その後苗字にガト(猫)を使うようになった、伝説のガト家の子孫と言われる人です。

この写真の道が、ÁLVAREZ GATO通り。

Luis García, CC BY-SA 3.0 ES via Wikimedia Commons

夜になると猫がお散歩していそうな・・・。

本当のところはよくわかりませんが、ガト(猫)と呼ばれるマドリードっ子のお話でした。