【セレノ】という仕事

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謎の “セレノ”

静まりかえった闇の中、夜な夜な繰り返される 謎の手拍子。(パンパン!!

セレーノーーーーッ!!SERENOOOOOOO!!)

向かってまーーす!!VA——-!!)

18世紀初めのスペイン 

18世紀、スペインの国王は、フランスのブルボン王朝の血筋の王様、華やかなベルサイユ宮殿で育ったフェリペ5世でした。スペインで前の王様が跡継ぎを残さず若くして亡くなり、跡継ぎ問題で色んな国を巻き込んでの戦争にまで発展したのですが、最終的には、血縁関係にあったフランスのフェリペ5世がブルボン王朝の名前とともに、王となるべくスペインにやってきました。

彼がこの国に来た頃、例えば首都であるマドリードであっても、外に設置してある街灯はなく、夜道を歩くときは、それぞれがランプを手に歩いていたような状態でした。

華やかなフランスからやってきたこの王様、スペインのこういった状況に驚き、街灯を設置するよう命令をだしました。しかし言うのは簡単でしたが、毎日火を灯し、朝には消し、掃除をし、ロウソクを取り替えて…,そして何より問題だったのは、管理も費用も住民持ちということで、街の景観に興味を向ける人などほとんどなく、そのうちだれも見て見ぬふりになってしまったようです。

カルロス3世の時代

フェリペ5世の後を継いだ王様はすぐに亡くなり、その後跡を継いだのがカルロス3世。フェリペ5世の息子なのですが、色んな経緯があって、スペインに王としてやってくるまでは、イタリアのナポリ・シチリア王として君臨していました。

カルロス3世が王位を継いだ時も、首都であるマドリードは、街の清掃、下水の管理など衛生面でかなりずさんな状態で、街灯に関しても前述のとうりで、あってないような状態でした。

カルロス3世という王様は、歴史の中でも珍しく(?)国の政治、街のインフラ整備や美化などにかなり力を入れた王様で、特に首都であるマドリードは、カルロス3世の時代街が大きく近代化されたこともあり、” 市長王 ” と後に呼ばれるほど人気の王様でした。

街灯の設置の大事な目的は、街を明るく照らし、それによって治安の改善をはかること。そのためにカルロス3世の時代、

【FAROLERO】1765年、この街灯の管理のため、FAROLERO発足。彼らが住民に代わって、街灯の管理をする仕事を請け負いました。

これとほぼ同時期に、

【SERENO】1791年に誕生です。

セレノの役割

セレノの仕事は、ひとことで言えば、 夜警 です。例えば、

● 街灯が消えていたら それを街灯係(farolero)に伝えたり、● 酔っ払いが騒いでいたらなだめたり、警察に連絡したり、● 病人がいたら医者、子供が生まれそうなら助産婦、死ぬ前の懺悔がしたい人には教会の神父を呼ぶのを手伝ったり、● 火事の時は、消防隊に知らせたり、● 住民のもめ事や、騒音などを注意したり….と、何でも屋、法的な権限は持っていなかったので、そういったことをそれぞれの関係各所にいち早く伝えるというのが彼らの仕事でした。

○○地区の○○通りと○○通り…という風に、それぞれの持ち場が決まっていて、セレノたちは、その持ち場内だけでの仕事、自分の持ち場以外にいるセレノたちと連絡を取り合いながら、役割を果たしていました。基本的には自分の管轄から離れられないセレノ、仲間に緊急を伝えるために、みんな笛を持っていて、笛の音で連絡をとりあったり、火事など本当に緊急のときには、近くの教会の鐘をならし、鐘のなる数によって、どの地区からの連絡なのかがわかるようなシステムになっていたようです。

時計代わり、天気案内、門番

彼らの仕事の中でもあと2つ、特筆しなければならないのが、【時間・気象案内】と【門番】です。

15分、30分ごとに、「3時、雨~!」とか、「4時15分、くもり~!」とか、落ち着ているときは、「5時、セレーノー!!」(セレノという言葉の意味には、穏やかとか、落ち着いた という意味があります)という具合に夜中に大きな声で、時間と天気を伝えていたのです。これは、早朝起きて仕事に行く人の目覚まし代わりと、起きてすぐに窓を開けなくても天気がわかるということ。自分の担当地区の住民が誰で、何時に仕事にでかけて…ということもセレノは把握していました。

もうひとつの大事な仕事が、門番です。スペインの住宅は、当時一軒家というのはなく、日本のマンションのように、正面の入り口があり、その後それぞれの家の入口という風にわかれていて、その正面の共通の入口のドアの鍵を持っていたのが、セレノ。なぜ住人本人が鍵を持たなかったかというと、①鍵があまりにも大きく、重く、持ち運びたくなかった、②もともと入口の鍵なんて出かけるときに閉めていなかった、からです。今でも小さな村に行くと、鍵どころか、ドア開けっ放しのところもあるくらいです。

これらの理由から、ある時間以降に(ドアが閉められてしまう時間以降)帰宅した人は、セレノに鍵を開けてもらっていました。これが、冒頭の 「(合図の手拍子)パンパンッ!!」「SERE—-NOOO!!」、「VA——-!!」のやり取りでした。

最後のセレノ

セレノは、担当地区に出勤する前必ず、その本部(のようなところ)に立ち寄って、朝礼ならぬ、夕礼を行っていましたが、その本部には、万が一のため、薬や、食べ物、飲み物といった緊急用の物資もいつも準備してあり、まるで今のコンビ二みたいでした。

19世紀に入り、ガスによる街灯が出現します。今までの街灯を一気にガスの街灯に変えることは、予算的に不可能で、王宮の周りや、大事な通りには少しずつ設置されていきましたが、その後も火を灯したり消したりの作業はすぐに消えていくことはありませんでした。ただ、このガスの街灯の出現で、FAROLEROとSERENOという2つの職業が、1840年、1つに統合され、最終的にはSERENOとして生き残っていきました。

家のドアもオートロックで、セキュリティも警備会社が遠隔でおこなってくれる今、SERENOという職業も、1986年を最後に正式には消えてしまいました。マドリードの最後のセレノは、マヌエル・アマゴさん。1956年、22歳の時にセレノとして働き始め、セレノはなくなってしまいましたが、実際52年間セレノの活動をされたそうです。この方の担当地区は、サラマンカ地区(マドリードの高級住宅街)で、52年間の活動の間には、その愛される人柄から、住民たちとの深い交流や、この地区に住んでいたアドルフォ・スワレス(フランコ独裁政権後、初の民主的な選挙で選ばれたスペイン元首相)などとも親交があったそうです。

古き良き時代

どこの国にも、忘れたくない歴史があるはずです。このセレノという200年以上この国に存在していた職業のことを初めて知った時、いつだかわからない過去の記憶が、その当時の空の様子や、風の匂いがよみがえるような、懐かしい気持ちになりました。もちろん、セレノは、私が生きた場所でも時代でもなく、これから先スペインでも忘れ去られていくことなのかもしれません。でも、セレノの時代のことを知っている年代の方々の記憶の中には、この何とも言えない懐かしい気持ちがあるのは間違いないようです。

何でも屋の夜警というだけではなく、その地区の情報屋、相談役、仕事の愚痴をきいたり、夫婦げんかの相談にのったり、恋愛コンサルタントだったり、誰もいない夜道でぽつりぽつりと悩みをきいてもらったり、ちょっとした精神科医みたいな存在だったのかもしれません。

歴史にはいつも、表と裏の部分があって、セレノの歴史にもその両面があるのかもしれませんが、裏表は別として、こんな時代がスペインにあったんだということを、ちょっとだけ記録に残しておきたいと思います。

スペインで、例えばホテルでお部屋の鍵が開かなかったら、あわてずに、”セレーノー!!”って叫んででみてはいかかでしょうか。(たぶん今は、うるさーーーい!! って怒られるけど…)