「無原罪の御宿り」ムリーリョ 世界一美しいマリア様 プラド美術館

Bartolomé Esteban Murillo, Public domain, via Wikimedia Commons
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ムリーリョ

ムリーリョは、17世紀スペインの南セビリアの街で生まれました。9歳で両親を無くし、彼の姉が親代わりで育ちます。親戚が絵の工房で働いていてそこに通うようになり、13歳ですでに絵描きとして仕事をしていました。

28歳の頃、画家として大きな仕事を任され、その頃結婚もして、10人の子供を授かりました。その後セビリアの大聖堂からの依頼で絵を描いたりと、経済的にも安定していました。

ムリーリョは街の貧しい子供たちの絵も何枚も描いていますが、絵の中の子供たちに悲壮感はなく、どれも生命力にあふれた光が感じられます。

Bartolomé Esteban Murillo, Public domain, via Wikimedia Commons

今回は、ムリーリョが没頭した二つのテーマ、”聖母子”(マリアとイエス)、それから”無原罪の御宿り”をご紹介します。

無原罪の御宿り

無原罪の御宿りとは、「マリアはその存在の最初、すなわち、母アナの胎内に宿った時から原罪を免れていた」とするカトリックの教義のひとつです。無原罪の御宿りに関して、最終的にカトリックの教義と正式に認められたのは19世紀ですが、15世紀以降それを容認する動きはあり、17世紀には人気のテーマのひとつでした。

17世紀には、パチェーコ(フランシスコ・パチェーコ。スペインの画家、美術研究家。異端審問所付美術監督官でもあり「絵画芸術論」の著者。ディエゴ・ベラスケスの師であり義父)の著書の中で、無原罪の御宿りの図像表現についても記述があり、それによると、無原罪の御宿りのマリアは、●12~13歳の若い女性 ●白い服に青いマント ●手は胸元で祈る姿 ●足元に三日月 とあります。

【図像学とは】絵画や美術の世界には、図像学(イコノグラフィー)というものがあり、これは、例えば、百合の花は純潔の印とか、犬は忠実の印とか、形に意味を付けることによって、それが何を示すのか表現できるようになる。ただの百合の花では、きれいなお花でしかないものが、図像学的には、それで状況を探ることができる。例えば宗教画にはたくさんの聖人が登場するが、その聖人が誰なのかわかるように聖人の生涯で起きた奇跡や象徴的な出来事に関連のある物が決められている。神話の世界でも神々にはそれを象徴する物が決められている。人物を特定するための物をアトリビュートといい、これを知る事で、神話や宗教画は美術としてだけではなく、作品が描かれていた時代のそれらの目的、つまり実用的な役割を果たすことができる。(宗教画を描いていたのは字が読めない人達に聖書を伝えるという、実用的なものだった)

また、マリアのアトリビュートには、百合の花、棘のないバラ等もあり、まさしく決められた通りの仕上がりになっています。天使はアトリビュートではないのですが、ムリーリョの好みというか、彼の描く可愛らしい天使たちは、見る人の気持ちを和らげる、独特の作風でもありました。

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①無原罪の御宿り ムリーリョ

ムリーリョは17世紀の画家ですが、18世紀に流行る、花模様や、かわいらしい天使、美しい女性たちが印象的なロココ様式 の先取りでもあったのが、彼の作品の特徴でもあります。

François Boucher, Public domain, via Wikimedia Commons
(例)ロココ様式の18世紀の絵画

16世紀のプロテスタントの宗教改革以降、またその後のトリエント公会議で、カトリック教会では、もともとの教義をしっかり伝えたいと、教会の装飾にも力をいれていました。また、16世紀におきたレパント海戦(オスマントルコ軍と、教皇+スペイン+ベネチア連合軍との海戦で、連合軍の勝利に終わった)の後、勝利はマリア様のご加護のおかげと、益々マリア信仰も過熱し、絵の需要が高まりました。一説によると、マリアの足の下の三日月は、オスマン帝国の旗印だという説もあるそうです。

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②無原罪の御宿り ムリーリョ

この②の無原罪の御宿りは、19世紀の初め、ナポレオンの支配下な置かれたスペインから、ナポレオンに仕えて、「ヨーロッパで最も優れた戦術家であると」と言われた、スルトという軍人で政治家だった人が、パリに持ち帰ったものです。無原罪の御宿りの絵をはじめに描いたのは、ムリーリョではありませんが、おそらく彼の物が一番完成度が高く、その当時特に多くの注文を受けてこのテーマを描きました。その中でも、描いた時点からその後も含めて特に美術的にも高い評価を受けていたのが、この2枚目の無原罪の御宿りで、もともとは、セビリアのベネラブレス病院のためのものでした。

Anual, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons
ベネラブレス病院 セビリア

その価値を知っていたので、スルトが亡くなった後も、この絵が売られることはなかったのですが、
1852年の競売で、それまでの絵画史上最高値でルーブル美術館が買い取りました。1941年スペイン政府は返還を希望し、フランス政府との話し合いの結果、ルーブル美術館にプラド美術館のベラスケスの作品(Doña Mariana de Austria)を譲り、返還が実現し、プラド美術館に展示されることになりました。

ロサリオのマリア

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1650年から1655年

(マリアの服が赤になっています。先にご紹介した無原罪のマリア以外、基本的にはマリアは赤い服に青いマントです。)

ロサリオとは、ネックレスのような数珠のことで、この数珠を数えながら、祈りを捧げる時に使う道具です。もともとは、ドミニコ会の創立者である、サント・ドミンゴ・デ・グズマンが托鉢の途中、マリアが現れ、このロサリオを渡して、祈ることを促し、そのことを彼から聞いたある軍人がそのようにして祈ったところ、戦いに勝利したという奇跡が13世紀におきたことに由来し、ロサリオのマリア様と呼ばれていました。

また先にお話したレパントの海戦でもこのロサリオの祈りのおかげでオスマントルコ軍からカトリック軍が守られたとして、法王ピオ5世が10月7日をロサリオのマリアの日と定め、ますますロサリオがブームになっていました。

ここでも、とても美しいマリアと可愛らしい天使のようなイエスが描かれています。17世紀のスペイン、セビリアの街は、伝染病ペスト禍で人口の約半数の人達が亡くなってしまうという悲惨な出来事などもあり、街には貧しい人たちがあふれていました。そんな中、祈りを捧げる対象であるマリア様の美しい姿に多くの人が勇気付けられたことでしょう。

SEVILLA HOSPITAL DEL POZO SANTO LA PESTE – 1649- PINTURA BARROCA Obra de ANONIMOLeonudio, Public domain, via Wikimedia Commons
1649年セビリア ペスト禍

小鳥のいる聖家族

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小鳥の聖家族 ムリーリョ

この絵のタイトル聖家族とは、イエスとマリアと養父ホセの事です。
この絵が興味深いのは、通常イエスがマリアと描かれている場合、いかにも宗教画という、神々しい雰囲気で描かれ、またホセの姿はもっと控えめなのですが、ここでは日常の世界で普通に生活をしている、親子として描かれているところです。マリアは、息子が父親に甘えながら、犬と遊んでいる様子を奥で糸を紡ぎながら見ています。イエスはいかにもいたずらっ子な表情で手には小さな鳥をつかんでいます。ムリーリョが生まれ育った当時の一般的なセビリアの家庭の風景がここにはあります。

マリアに読書を教えるアナ

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マリアに読書を教えるアナ ムリーリョ

アナは、マリアの母親です。マリアが子供の頃の様子を描いた絵はほとんどなく、とても珍しい内容の絵です。ここでも、親子がテーマになっていて、もちろん二人ともこの先マリアに何が起きるのか、想像もしていないのです。天使が花飾りの王冠をそっと運んできていて、マリアの未来を暗示しています。早くに両親を亡くしたムリーリョの両親、家族への思いは、想像するとせつなさを感じます。

世界一綺麗なマリア

子供の頃から、「世界で一番きれいなマリア様を描く絵描きになる」と言っていたそうで、ムリーリョが描くマリアは、本当に優しい魅力あふれる聡明な女性の姿です。愛妻家だった、家族思いのムリーリョの、マリアのモデルになったのは、おそらく彼の奥さんベアトリス、彼女は38歳で亡くなったそうです。

個人の好みにもよりますが、私はムリーリョが描くマリアが、彼が夢見ていた通り、世界一美しいマリアだと思います。

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