近代芸術の父と評される画家 フランシスコ・デ・ゴヤ。プラド美術館でも特に人気の画家です。
多くの作品を残しましたが、「黒い絵」のシリーズは中でも強烈な作品です。
当時の スペインの政治的背景と、画家の心理状態を知ることは、「黒い絵」を少しでも理解するヒントになると思います。
ゴヤとその時代のスペインが3分でわかるミニ歴史
1746年サラゴサのフエンデトドスという街で生まれたゴヤ、一足先にマドリードの宮廷での仕事をしていた同郷のバイユ(フランシスコ バイユ、ゴヤは後にバイユの妹と結婚した)の後押しもあり、マドリードで王家のタペストリーの工房の下絵を描く仕事につく。
その後国王カルロス3世、カルロス4世の時代、王家の宮廷画家として出世するとともに、当時の上流階級でも人気の画家としてその地位を固めていく。
その間ゴヤは、1793年頃原因不明の大病を患った。ゴヤ本来の気性と大病の経験が、王家や社会への不満と批判を表面化させる原因にもなっていった。
その頃、フランスはナポレオンの時代、ナポレオンはポルトガルを攻めるにあたり、スペインと協定を結び、スペインは、フランス軍がスペインに入国することを許可してしまう。しかし、ナポレオンは、ポルトガルを攻めに行くために通過する必要もないスペインの地方にも軍を送りはじめ、雲行きが怪しくなっていった。スペイン王家内でも政治的なもめごともあり、なんとかナポレオンと話し合いで合意したい国王カルロス4世とフェルナンド王子、ナポレオンは、この二人を国境に近いフランスの街に呼び出し、スペイン国王が不在の間、マドリードを攻撃、スペインはナポレオン軍の支配下に置かれてしまう(1808年5月2日、5月3日)。その後、スペインの王宮にナポレオンの兄が送り込まれ、ホセ1世として、スペイン国王の座についてしまう。
ゴヤは国王カルロス4世の宮廷画家だったが、ナポレオンの兄 ホセ1世が宮廷の主になり(1808年~1813年、宮廷内での立場は微妙で、その後ホセ1世が去り、カルロス4世の後を継いだフェルナンド7世の時代に、宮廷、上流階級などの華やかな仕事から退くことを決意(1818年)。
(ちなみにこのフェルナンド7世が、(彼の奥さんが)プラドを美術館とすべく尽力した人)
その頃、ゴヤは以前と同じだったのか、また大病を患い1819年聴力を失っていく。
ゴヤは、すでに購入してあった、マドリード郊外の家(聾者の家と呼ばれた)に移り、その家で、閉じこもりっ切りの生活をし、絵を描いた。キャンバスではなく、家の壁に直接描かれていた絵、それがのちに「黒い絵」といわれる14枚の作品。
壁の絵の移動
このように二階建ての家の各部屋の壁に絵が描いてありました。
ゴヤがこの家に住み絵を描いていたのは、1819年11月~1824年5月、14枚の絵を描きました。
1824年以降は、フランスのボルドーに移住しています。
この壁の絵が壁から移動されたのは1874年、ストラッポという技術を使って行われました。
【ストラッポ】壁にある絵を移動させるのに使われる技術で、接着剤のようなものを塗った絵に布を貼って乾いたら剥がし、その後接着剤を溶かして剥がす。
①絵に、接着剤(にかわ)を塗る
②その上に、薄い布を貼り乾かす
③乾燥すると、絵の表面層だけが布と一緒に剝がれる
④その裏にキャンバス(帆布)を貼り付ける
⑤接着剤を溶かし薄い布を剥がす
この技術は、今でも壁の絵の修復保存のために使われる方法ですが、当時この作業によってかなり作品が痛んでしまったのは間違いありません。
また、その後大掛かりな修復作業が行われ、そのことにより状態はよくなったものの、もともとのゴヤのオリジナル通りではなくなってしまった作品もあります。
魔女の集会という作品以外の絵には、X線写真で見ると、ゴヤが描いた風景画が見えることもわかっています。
ほとんどが、黒っぽいトーンの色が使われて描かれいて、その為、のちに黒い絵と呼ばれるようになりました。
黒い絵
≪魔女の集会(アケラーレ)≫ 下の写真と比べて、修復された絵は横が短くなっています。壁から剥がす際、右横140㎝が切り取られました。右の空間がなくなる事で絵の雰囲気が大きく変わったのがわかります。このように、修復によって、オリジナルのゴヤの世界と違ったものになってしまったのは大変残念です。
この頃はまだ古い異端審問の時代の習慣が残っていて、魔女裁判など理不尽な罪の裁きを受ける人たちがいた時代です。そういったものの廃止を訴えていた一人がゴヤでした。この絵は魔女の集会、魔女の集会をアケラーレと呼びました。左の角が生えた黒い物体が雄山羊の姿のサタン、サタンの横の白いベールの人は、サタンのしもべ、前にはフラスコ、ビン、かご、箱といったものが置かれ悪魔の儀式に使われる道具です。右端の女はこれから魔女の仲間入りをするための儀式を待っています。魔女たちの常軌を逸した、茫然とした表情が描かれています。
写真は1874年、絵を壁から剥がす前に撮影されたもの。
≪サン・イシードロの巡礼≫
≪我が子を食らうサトゥルノ≫我が子に自分が殺されるという予言に、怒りと恐怖を覚え、そうなる前に我が子を飲み込んで食べてしまったという神話の神様サトゥルノ。この神話は有名で、ルーベンス(16世紀~17世紀にかけて活躍した画家)も同じテーマで絵を残しています。ルーベンスのサトゥルノに比べ、ゴヤのサトゥルノはもっと豪快というか、子供を飲み込むというより頭を引きちぎり、腕をもぎ取り、両手で小さな体が引け避けるほどの力で握りしめています。これ以上ない狂気の表情、真っ黒な背景に真っ赤な血が印象的です。若い者が老いたものを破壊していく社会の矛盾、老いや時間に対する恐怖と孤独。この恐ろしい絵は、家の食堂の壁に描いてありました。
≪レオカディア≫この女性は、レオカディアという名前で、既婚者だったのですが、ゴヤの愛人だった女性の一人でした。ゴヤがこの家を購入したのは、この女性とここで一緒に暮らすためだったと言われています。ただ、この頃ゴヤは70歳を越えていて、先のナポレオンとの事件もあり王政に対しての大きな不満と批判、また二度目の大病の後ますます死を身近に感じ、また耳もどんどん聞こえなくなっていき、人生に絶望していた頃でもありました。
≪砂に埋もれる犬≫黒や灰色を多く使い、また絶望的な恐怖の世界でもある黒い絵のシリーズにあって、この絵は逆に新鮮な感じがします。色合いも比較的穏やかで、サタンも魔女も狂気の表情もこの絵にはありません。登場するのは一匹の犬のみ。でも、この犬をよく見ると、その表情だけで色んな事を訴えてきています。この犬は、どこで、何をしているのでしょうか。砂に埋もれていくようすなのか、溺れてしまうのか、どこかに沈んでしまうのか、それとも、食べ物の匂いで顔をのぞかせているのでしょうか。そんな事を考えながらこの犬を見ていると、怯えているのか、優しい気分でいるのか、なんだかわからない分 不安になってきます。犬が見つめている先にちょっと色が濃くなっている、何かを塗りつぶした跡が残っています。調査した結果、何が描かれていたのかは不明のままですが、ゴヤはそこに何かを描いたのです。そして、その何かを消したのです。それは何だったのでしょうか。天と地が一本の斜めの線だけで表現されていて、あとは、犬だけ。
≪棍棒での決闘≫二人の男が棍棒で殴り合っています。足は地面に埋められているのか、片方が死ぬまで殴り合いを続けます。この二人は、新しくなりかけているスペインと旧態依然のスペインを象徴し、また、スペイン軍とフランス軍の姿とも言えます。逃げ場のない追い詰められた気持ちを二人の男が殴り合いで訴えています。
運命の女神
アスモデア
異端審問
二人の老人
読書
ユーディットとホロフェルネス
自慰する男を嘲る二人の女
≪食事をする二老人≫男だか女だかわからない二人。黒い絵の人達は、性別もわからない醜い姿で描かれ、正確にそのものを描くのは重要ではなく、そこに感情移入する表現主義的な作品です。きれいな物とか形が、醜いもの悪いものそして、死に飲み込まれていきます。左の人は歯がない老人、猜疑心のかたまりで、何かあったら攻撃的な、野生の動物のようです。右の人は、目はくぼんで見えず、髪はなく、骸骨のようです。持っている白い物は、死のリスト、次に死ぬのは誰かを、もう一人の老人に指で示しているのです。
三つの時代を過ごしたゴヤ
ゴヤには、三つの時代がありました。
一番初め若い頃、希望に満ちて、将来に明るい展望を持ち、描いていた絵も、王家の仕事の足がかりとなるタペストリーの下絵、明るい、鮮明な色使いと、生命力みなぎる街の生活の様子、遊びや祭りや踊り人生の春から夏の初めの輝いていた時代。
その後の青年期、熟成気。王家のお気に入りの宮廷画家、貴族や上流階級の人達との華やかな関係と、出世。同時に病に倒れ聴覚を失っていき、政治、戦争に巻き込まれ、嫌気がさし、古い物から新しい時代への過渡期における葛藤と批判の時代でもありました。
そして、晩年の、黒い絵の時代。
人間として、画家として時間や、人生そのものが終焉を迎えていく時代。
これは、ゴヤに限ったことではなく、すべての人が経験していく人生の段階だと思います。
ゴヤは人並み外れた、するどい洞察力と絵を描く才能に恵まれ、ただ、逆にその才能のために普通の人達より感情の波が大きかったのでしょう。良い事と悪い事はいつも紙一重ですね。