日曜日の午前中だけのお楽しみ。ラストロ(蚤の市)
【ガラクタ市】なんて言われることもありますが、歴史もあって、古き良き時代のマドリードらしい雰囲気を一番味わえる場所です。
ラストロの歴史
マドリードの街は、1561年にこの街にスペインの首都が移ってくるまでは、小さな村でした。
遷都が行われ、マドリードの人口が増えると、村の人たちが好き勝手なところで、古着を売ったり靴を売ったりいろんな商売をはじめ、収拾がつかない状態になっていて、国王フェリペ2世によって、街の中心地付近での商売は一切禁止され、それまでは、マヨール広場や、太陽の門広場の辺りで商売をしていた人たちが、街の中心から離れたところに引っ越しして、相変わらず商売を行っていました。
中でも規模が大きくなっていったのが、現在のラストロが行われる地区です。
この地区には、15世紀の終わりごろから屠殺場がありました。それに伴って、動物の皮がその副産物となって、その加工をする職人たちが集まることになりました。
もともとマドリードの皮のなめしを行うギルドは、現在のオペラ座があるイサベル2世広場の辺りにありましたが、それが屠殺場の近くに移ることになり、中でも、現在のラストロの中心地リベラ・デ・クルティドーレスとカスコーロ広場周辺が特に栄えていき、他にも色んな商売の人達がこの辺りで物を交換したり、売買したりをはじめました。クルティドーレスとは、皮のなめしを行う人達のことです。
ちなみに、現在は、この地区に屠殺場はありません。
ちなみにラストロというのは、この場合、「~の跡」という意味で、屠殺場からなめし工房まで引きずられながら運ばれら動物の亡骸から流れる血の跡、そして、その血が坂道を流れ落ちて行った跡 からラストロと呼ばれるようになりました。
この地区で行われた他の商売は、精肉屋、また、古着や家具、靴(新しい靴、古い靴)、(動物の脂で作った)ロウソク屋など、その後、編み物、本屋、使わなくなった家庭用品などいわゆる骨董品も集まり、競りのようなことも行われたり、活気のある場所になっていったのです。
ラストロでは伝統的に、自分が使わなくなったものを売って、他の人が使わなくなったものと交換したり、買ったり、昔からセカンドハンドのリサイクルのシステムがここでは成り立っていました
骨董品の品定めをしながら、お目当ての品物を見つけて、店の人との交渉してちょっとまけてもらったりというのが、本来のラストロの醍醐味でした。
ただ最近は、骨董品やセカンドハンドの物を買う人より、安いTシャツや小物、家庭用品(鍋など)も、中古ではなく、新品を買う人がほとんどです。
特に賑やかなのは
ラストロ全体の中で、特に賑やかなのは、リベラ・デ・クルティドーレス通り。
これ以外にも、リベラ・デ・クルティドーレス通りには、靴下や、下着、家着、コートや、靴、バッグ、キッチングッズなど、セカンドハンドではない色んな物が売られています。
昔の雰囲気があるのは
カルネロ通り と カルロス・アルニーチェス通り
メインのリベラ・デ・クルティドーレス通りから一本入った通りです。
この角、ギリシャやローマ神話に出てくるコルヌコピア(豊穣の角!!!)。マドリード広しといえど、なかなかこんな物は見かけません。初めて発見、ちょっと感動・・・というか、笑えた。
何通りだかすでにわからない
ラストロ界隈は、縦に伸びる2本の道(リベラ・デ・クルティドーレス通りとカルロス・アルニーチェス通り)で、坂道なので方向はすぐにわかります。ずっと登っていくとマヨール広場に到着です。
2本の道の間に、先に紹介したカルネロ通りや、ちょっとおしゃれに改装された小さなスペースがあって、その周りにもお店が並んでいます。
なぜ蚤の市というのか
蚤のようにみすぼらしい物を、蚤のようにどこからか集まった人たちが売買し、品物が蚤のように人から人に移っていく・・・というところからこう呼ばれるそうです。(へ~っと関心)
開催日
マドリードのラストロ開催日は、毎週日曜日、朝9時から15時までです。
9時に行ってもまだ準備中のところがほとんどです。
賑やかになるのは、11時過ぎです。
現在は通常の半分の露店が隔週ごとに交替で店を営業していて、人も少なめですが、通常は、お正月の初詣のような賑わいです。
道に迷う事はないと思いますが、スリには十分気を付けてくださいね。
歩き疲れたら、マドリードB級グルメの定番、イカリングフライのボカディージョを食べながら休憩してみてはいかがでしょうか。
マドリードの、一味違う、日曜午前中の過ごし方です。