スペイン観光のハイライトの一つ、バルセロナのサグラダファミリア。
あまりにも素晴らしい建物なので、あっちもこっちも写真を撮ってる間に、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
どこを撮っても絵になる教会ですが、その装飾にもちゃんとストーリーがあるので、また教会が造られた歴史などもざっくりと紹介します。
サグラダファミリア観光の前に、予備知識として知っておくと、実際見た時もっと楽しめると思います。
サグラダファミリア
まずこの名前ですが、日本語に訳すと聖家族という意味です。
聖家族というのは、イエスと母マリアと、養父ホセ この3人を聖家族と言います。
サグラダファミリアは、この3人に捧げられた教会です。
教会建設の発起人は
サグラダファミリアというと、ガウディだけが取り沙汰されますが、もともと教会を建てる案を出したのは、↓↓↓↓↓↓このお方
ホセ・マリア・ボカベージャという、本屋さんでした。彼は熱心なカトリック信者、なかでも、聖ホセ(イエスの養父)のための聖ホセ信者協会を作るほどで、彼の呼びかけで多くの信者が賛同し、その結果、聖なる家族に捧げる教会をという事で始まっていったプロジェクトがサグラダファミリアの歴史の始まりです。
工事は1882年に始まった
最初の建築家は、フランシスコ・デ・パウラ・デル・ヴィジャール、彼のデザインは、
こちら↓↓↓↓↓↓
1877年にこの仕事を請け負い、ネオゴシック様式建物を造る予定でした。
この絵だけではちょっと想像しずらいですが、例えばスペインの教会でネオゴシック建築は、
↓↓↓↓↓↓サン・セバスティアンの大聖堂(スペイン)
現在のサグラダファミリアとは、随分違った雰囲気の教会になる予定でした。
定礎式(工事を始めますよ~という式)は1882年、聖ホセの日にあたる3月19日に行われました。
工事は始まりましたが、フランシスコ・デ・パウラ・デル・ヴィジャールはその後、デザインその他で意見が合わず、このプロジェクトをガウディが引き受けることになります。ガウディが31歳の時でした。
1883年にサグラダファミリアの仕事にかかり、その後も他の仕事も受けていましたが、1914年以降、ガウディが亡くなった1926年の12年間は、他の仕事は一切受けずに、サグラダファミリアの仕事一筋、まさにガウディのライフワークだったのです。
ガウディの思い
サグラダファミリアの装飾は、イエスの人生の記録です。この世に生まれた時から、亡くなって復活するまでの記録が教会の壁の装飾になって、目で見れるようになったもの。
ガウディは、このプロジェクトが自分が生きている間に全て完成するとは思っていませんでした。
実際、20世紀の中頃までは、木の足場を組んでの作業で、現在のような技術はありませんでした。
昔は教会建築が100年も200年もかかるのは一般的だったので、ガウディもそう考えたようです。
ガウディは生前、自分の跡を継ぐ建築家たちが、それぞれの時代に合った技術で作業を継いでいって欲しいと言っていたようで、ガウディが亡くなった後何人か建設責任者が変っていきますが、それぞれがガウディの遺志をついで、工事を進めています。
ガウディ本人が携わった部分は、生誕のファサードです。
生誕のファサード
生誕のファサードの工事が始まったのは、1891年です。
生誕のファサードでは、イエスの誕生から幼少期の様子が語られます。
生誕のファサード、門が3つに分かれています。向かって左から、ホセに捧げられた希望の門、中央の一番大きな門がイエスに捧げられた慈愛の門、右はマリアに捧げられた信仰の門です。
(中央の門)慈愛の門
【受胎告知】⇒ 『ベツレヘムの星』⇒ 【イエス誕生】
上の写真の真ん中のギザギザ柱の上に2人(1人はベールを被りうつむいて、1人は立っている)、このシーンは、マリアのもとに大天使ガブリエルが降りてきて、「神の御子を身ごもります」と伝えている 【受胎告知】です。
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ギザギザの柱のてっぺんに、金平糖のような星(ベツレヘムの星)があります。この星に導かれて東方の三賢者が向かったのがイエスが誕生したベツレヘムの街です。ギザギザの柱の下に馬小屋で生まれたイエスとマリアとホセ=聖家族です。
【東方の三賢者】↓↓↓↓↓↓
イエスの誕生を確認に東方の三賢者がイエスのもとに贈り物を持ってやってきます。
三賢者の彫刻は、イエス誕生のシーンのすぐ左下にあります。(全体像がなくてわかりにくいですが)
それぞれが手に何かもっているのが贈り物(乳香、没薬、黄金)です。
【羊飼いたちの祝福】↓↓↓↓↓↓
イエスの誕生を一番初めに祝福に駆け付けたのは、近くの村の羊飼いたちでした。その祝福のシーンです。
東方の三賢者の右横、イエス誕生の右下に羊飼いたちが装飾されています。
この中で、ギザギザの柱の周りにいる人達、見えますか?
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この人たちは実は天使、イエスの誕生を祝ってお祝いの歌を歌っています。
天使だけど羽はありません。ガウディは天使には羽がないという意見だったのだそうです。
そして天使たちのお顔が、よく見るとちょっとアジア風なのですが、この天使像は日本人彫刻家で、主任彫刻家でもある、外尾悦郎氏の作品です。福岡出身の外尾悦郎氏、バルセロナに移住されたのが1978年、もう40年以上もサグラダファミリアで作業を続けられています。
もともとのガウディのオリジナルの彫刻は、スペイン内戦時代に破壊されたため、その後、外尾悦郎氏によって甦った天使たちです。
外尾氏の作品は、【生誕の門】の植物と昆虫などの装飾された門や、教会の上に乗っているフルーツ、などもそうで、ほかにもいくつかデザインや彫刻を制作されています。
上の写真の外尾氏の装飾の門の、真ん中の(下の方が茶色のネットをかけてあるような)柱、これには、イエスの家系図が刻んであります。
下の方には、アダムとイブの禁断の実リンゴと、食べるようにそそのかした蛇の姿もあります。この出来事の結果、イエスが生まれてくることになるのです。
今度はもう少し上、ギザギザの柱の上の受胎告知の上が
【聖母マリアの戴冠】↓↓↓↓↓↓
マリアが、亡くなってたあと天に昇り、戴冠のシーンです。通常は、神、またはイエス、または、聖霊(鳩の姿)も含めた三位一体から冠を受けている姿で表現され、ここではイエスから、また左側でそのシーンを見上げているのは、養父ホセです。
このシーンの上には、糸杉の木があります。
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上の写真、4本の塔中央に緑色の木がありますが、これが常緑樹の糸杉の木、生命の木ともいわれ、まわりの白い鳥は鳩、永遠の物に集まる信者の姿です。
そして、糸杉の木の根元、小さいですが(^^;) 白い鳥がいます。これはペリカン、2羽のヒナもいます。
ペリカンは、ヒナに吐き戻したものをエサとして与えますが、その姿が、自分の血や肉を与えているように見えることから、キリスト教徒たちから自己犠牲の象徴とされ、イエスも自己犠牲で磔で天に召されたという事と関連付けられていたようです。
このペリカン、見つけるとちょっとうれしいですよ!
(向かって左の門)希望の門
【エジプトへの逃避】↓↓↓↓↓↓
イエスの誕生を知ったヘロデ王は、イエス(でもどの子がイエスだかわからないのでベツレヘムで生まれた2歳以下の幼児)を虐殺するよう命令します。
養父ホセの夢に天使が現れて、エジプトへ逃げるようホセに告げました。
ホセはイエスとマリアを連れてすぐにエジプトへ逃げて、難を逃れました。
ガウディは、彫刻を制作する際には、例えば人の彫刻なら本物の人間にモデルになってもらい、色んなポーズで写真を撮り、鏡に映して角度を変えて見て、また、生身の人間を使って石膏で型を取り、設置する場所によって上の方に設置する彫刻は大きめに、下の方は小さめにしたりと、妥協を許さない作業を行いました。
このエジプトへの逃避のシーンで、幼子イエスを抱いたマリアが乗ってるロバさん、ガウディ先生この子にはなかなか手こずったそうで、さすがに動かないでポーズと言われても・・・無理。
ロバさんは、ロープで吊るして作業をしたそうです。
【ヘロデ王の幼児虐殺】↓↓↓↓↓↓
この難を逃れるために、エジプトに逃げたのでした。
(下にいるアヒル? さんたちも、吊るされたのかな?)
【希望の門(左)+ 慈愛の門(右)】
次の段(上)には、真ん中にホセとイエス、左右は、マリアの両親アナとホアキンの姿です。
一番上は、【マリアとホセの結婚のシーン】↑↑↑↑↑↑
マリアの結婚相手を選ぶのに、多くの求婚者が集まりました。天使のお告げで、それぞれ枝をもって集まり、その枝の先に花が咲いた者がマリアの婚約者。花が咲いたのは大工のホセでした。
上の写真で、希望の門と慈愛の門の境目の、斜めの線が刻まれた柱の土台には亀さんがいて柱を支えています。(皆さん上ばっかり見ちゃうけど、下にもいろいろありますから、見てくださいね)
慈愛の門と信仰の門の境目にも同じように柱があって、やっぱり土台は亀さんです。
亀は、海亀と山亀、亀の手(?)の先が微妙に違っています。
亀は不変の物の象徴、そして、ゆっくり一歩一歩確実に作業を進めようという、ガウディのメッセージです。
(向かって右の門)信仰の門
【信仰の門】↓↓↓↓↓↓
↑↑↑↑↑↑【マリアのイサベル訪問(左下の女性2人)】
マリアがイエスを身ごもったとき、マリアの親戚で年上のイサベルも懐妊したことを知り、マリアはイサベルのところへ祝福に行きました。イサベルはなかなか子宝に恵まれず高齢だったのですが、神の力で子供を授かったことに感謝し、マリアは神へ祈りを捧げました。
中央のシーンでは、真ん中に座っているのが12歳の時のイエス、左右の2人はユダヤ教の指導者たち。
イエスの子供時代の事に関してはほとんど記述がないのでわからないことが多いのですが、
イエスが生まれ育った地方の宗教はユダヤ教、マリアもホセも敬虔なユダヤ教徒でした。
ユダヤ教では13歳になると大人の仲間入りの儀式があり、12歳の時にその準備もかねてマリアとホセはイエスを連れて、巡礼のためエルサレムへ行ったのです。
イエスはそこで、ユダヤ教の指導者たちと対等に聖書について話をして、その知識の深さに指導者たちが驚いたというエピソードのシーンです。
右下の2人はマリアとホセで、息子イエスが聖書について語る姿に驚き、まるで奇跡を見るようにイエスを見上げています。
マリアとホセの横(下の段の一番右)金槌を持ったイエスが机の上で大工仕事をしています。
ホセの仕事は大工さん、父親の仕事を手伝う少年時代のイエスの姿です。
一番上のシーン(ちょっと写真が切れてますが)は、【イエス神殿奉献】のシーン。
これは、ユダヤ教の戒律で、産後40日になるとエルサレムの神殿にお清めの捧げものをすることになっていて、マリアもイエスと神殿に向かいます。
そこにシメオンという老人が現れ、シメオンは、いつか救世主イエスに会うと神に告げられ、その日を待っていました。その日、聖霊に導かれ神殿に来てついにイエスと会い、イエスを抱きかかえ神に感謝しました、というシーンです。
鐘楼
鐘楼は教会全体で18本建てられます。
12本はイエスの12人の弟子のため、4本は、4人の福音者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)のため、1本はマリアのため、そしていちばん高い鐘楼はイエスです。
イエスのための鐘楼は高さ170m、これが出来上がるとバルセロナのどこからでも教会の鐘楼が見えるようになるだけではなく、世界一高い塔を持つ教会になります。
ただ、神が造った自然の物より高くあってはいけないというガウディの考えで、市内で小高い丘になっているモンジュイック(184.4m)を超えない高さになります。
鐘楼は、カタルーニャ地方の伝統的な行事で世界遺産にもなっている【人間の塔】や、トルコのカッパドキアの奇岩からのインスピレーション。
塔の上の方の小さな窓のひさしのところは、凸凹になっていて、鐘楼の鐘の音がきれいに響いて、バルセロナ中に聞こえるように設計されています。完成したら設置される鐘の音も、ガウディによってすでに決められています。
まとめ
生誕のファサードは、今回紹介した3つの門(この3という数字が聖家族の3人)と、その上の4本の鐘楼から成り、ガウディが生きていた頃、直接本人が携わったところです。
生誕のファサードと地下聖堂は、すでにユネスコの世界遺産に登録されています。
ここでは紹介しきれない、もっと色んな面白い物が現地で実際に見ると発見できると思います。
今度は、もう一つ有名な、受難のファサードも紹介しますね。
今回は長くなってしまうので、生誕のファサードだけにしておきます。
今回紹介した箇所は、西洋美術のキリスト教関連の作品でもよく扱われるテーマですので、サグラダファミリア観光だけではなく、他の教会や美術館でも、知っておくと便利だと思います。