【オルガス伯爵の埋葬】エル・グレコの最高傑作とサント・トメ教会

スペインの古都トレドは、16世紀スペインの首都が置かれていた大事な街。

旧市街全体が世界遺産で、いくつもの見どころがあります。

その中でも人気があるのは、16世紀にトレドで活躍をしたエル・グレコとよばれたギリシャ人の画家が描いた、【オルガス伯爵の埋葬】というタイトルの絵です。

14世紀にオルガス伯爵の葬儀の際に起きた、奇跡のシーンを描いたもので、エル・グレコの最高傑作と謳われる大きなモニュメント性のある作品です。

【オルガス伯爵の埋葬】 エル・グレコ
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サント・トメ教会

エル・グレコの有名な絵があるのは、サント・トメ教会

この教会は、12世紀にトレドをイスラム勢力から奪回したアルフォンソ6世の命により建てられた教会で、11世にイスラム教徒たちのモスク(メスキータ)だった建物を再利用したものです。

14世紀に建物がかなり荒廃していたこともあり、当時の領主だったオルガス伯爵の援助によって全面的に再建されました。モスクのミナレット(塔)は、教会の鐘楼になりました。

オルガス伯爵

本名は、ゴンザロ・ルイス・デ・トレド

サント・トメ教会だけではなく、他にの教会の修復や建設など慈善活動に貢献した人で、この地方の領主で、公証人だった人です。

伯爵が亡くなったのは1323年、伯爵の遺言には、この街の人達は、サント・トメ教会への捧げものとして、また、恵まれない人たちへの支援として、羊肉、鶏肉、薪、寄付金を毎年教会へ納めるようにと命じていました。

そして、伯爵が亡くなった後その遺体は、サント・トメ教会の隅の邪魔にならない質素な場所に埋葬するようにと。

この絵は、その伯爵のお葬式で起きた奇跡を描いたものなのですが、いったい何が起きたのかというと、

伯爵が亡くなり、お葬式、そして遺体が埋葬されようとしていた時、聖アグスティンと聖エステバンが天からお葬式の場所に降り立ち、遺体を棺に埋葬する手助けをしてくれ、その時「神と聖徒に仕える者には、このような褒美が贈られます」という声が聞こえてきたのです。

その奇跡のお葬式のシーンを描いたのが【オルガス伯爵の埋葬】です。

この絵が描かれた理由

伯爵の奇跡のお葬式から200年以上過ぎた1564年、当時の教会の司祭アンドレス・ヌニュエスは、街の人達が伯爵の遺言に背き、教会に捧げものを届けるのを怠っていることに対して裁判を起こし、1569年裁判所は司祭の言い分を認める判決を下しました。

その事の記念と、街の人達にも伯爵の奇跡のお葬式の事を思い出してもらって(もしくは全く知らない人もいたので、奇跡を知ってもらって)信仰心を高めてもらいたいと、アンドレス・ニュネスは記念の碑文を作らせ、そこに伯爵の奇跡のお葬式と、その時聞こえてきたという天からの言葉「神を聖徒に仕える者には、このような褒美が贈られます」という言葉を刻みました。(想像するに、裁判の判決に不服の住人達に、捧げものは伯爵の遺言、そしてそのことで神のご褒美が・・・と、判決結果を正当化しようとしたのかも)

その後この奇跡の話は公式に認められ、この出来事を記録に残すために当時トレドで人気と実力のあったエル・グレコに絵が依頼されたのでした。

エル・グレコ

エル・グレコは、ギリシャ人画家で、イタリアのベネチア派の影響をうけ、そしてスペインに移住したのが1577年。

エル・グレコについては、こちらを

絵の依頼を受け、契約をしたのは1586年3月でした。

絵の細かい内容のほか、作品の納期はその年の12月クリスマスの前までにという契約でしたが、予定には間に合わず完成して納品されたのは1588年の春。

グレコが要求した絵の代金は、1200ドゥカード。
グレコの作品の中でも有名な、トレドの大聖堂にある【聖衣略奪】が318ドゥカード、スペイン国王フェリペ2世に認められたくて描いた、エル・エスコリアル修道院の【聖マウリシオの殉教】が800ドゥカード、それに比べて1200ドゥカードは高額過ぎると教会側とエル・グレコとの間で支払いでかなりもめました。

【聖衣略奪】
【聖マウリシオの殉教】

そこで専門家に絵の値段をつけてもらったところ、グレコが要求した1200よりもさらに高い1700ドゥカードという金額がついてしまい、教会側では契約した納期に間に合わなかったなどの理由で最終的にはエル・グレコが最初に要求した代金が支払われました。

登場人物と作品解説

この絵のサイスは、4.80 m x 3.60m

大きく分けると上下ふたつのシーンからなり絵で、上は、死後の天上界、下は地上界の様子です。

天上界
地上の世界

地上の世界

●真ん中で横たわった、甲冑を身に付けた人がいます。この人がオルガス伯爵
●その横の黄色い衣装の2人が、天から埋葬の手伝いに降りてきた、(右)聖アグスティンと(左)聖エステバン、遺体を棺におさめているところです

聖エステバン、オルガス伯爵、聖アグスティン

その後ろには、黒い服の人達が横に並んで立っています。この人たちは、伯爵のお葬式に駆け付けた参列の人達です。
●右端の聖典を読んでいる人は、サント・トメ教会の司祭アンドレス・ヌニュエス(絵の依頼主)、左端からグレーの服を着た、その横は黒い服を着た、フランシスコ会とアグスティン会の修道士の姿



地上界のシーンで2人だけまっすぐ正面を見据えて、私たちと視点が合う人がいます。

左から、グリーの服を着た、黒い服を着た
視線が合う2人 (下)ホルヘ・マヌエル (右上)エル・グレコ本人


●聖エステバン(左側の聖人)の真後ろのやけに顔が白っぽい人、これは画家本人

エル・グレコ本人


●もう1人は、聖エステバンの横の子供、この子はグレコの子供ホルヘ・マヌエル(ひざまずく姿)

●グレコの左横には、フランシスコ会の修道士、グレコの右横には、この絵が描かれた当時のトレドの市長の姿。

他にも後ろで立っている、黒い服の人達がたくさんいます。胸に赤い十字は、サンチアゴ騎士団のマーク、社会的地位の高さを意味します。
また、この人たちの多くが16世紀~17世紀に流行った襞襟(エリザベス襟?)の服を着ています。

この事から、この人たちが16世紀の人達であることが想像されます。奇跡のお葬式は14世紀でしたが、グレコはここに16世紀の街の学者や、詩人、またグレコの絵に理解を示しサポートしてくれていた有力者たちの顔を描くことで彼らに対する敬意いと感謝の意を表しています。

この絵の地上の世界で行われているのはお葬式、死の世界。中央の聖人2人は、カラフルな色合いの式服を着ていて、そこだけが光に包まれていますが、それ以外の登場人物たちは、黒やグレーの服、光はどこからもあたらず、地上の世界は参列者が手にする松明の火だけが頼りの薄暗い世界です。

天上界

天上の世界は神の栄光の世界、天国、永遠の命といったイメージ。

●中央の白衣の人はイエス・キリスト
パントクラ―ル(全能の神)と言われる、玉座に座ったような姿でイエスが描かれていて、これはグレコの出身地のギリシャ正教会のイコン画の影響によるものです。無機的な空間の中に描かれたイエス、神との対話の仲介役を果たすイコン画の特徴です。


●イエスの左下には聖母マリア 
聖母マリアは、自らの慈愛によって死の世界から亡くなった人たちの魂を救済しようとしているように視線は地上界を見落ろしています。

●イエスの右下にはラクダの皮を腰に巻いた洗礼者ヨハネの姿
洗礼者ヨハネは、地上界と天上界をつなぐ役目を果たすように、イエスの前でひざまずき、亡くなった人たちの魂を天上界へ迎えてもいいでしょうか?と伺いを立てているようです。

イエスを中心とした、聖母マリア、洗礼者ヨハネの3人の三角形の構図、これもイコン画ではよく見られるもの。

12世紀のイコン画 イエスと聖母マリアと洗礼者ヨハネ

●聖母マリアの後の黄色の服の人は、聖ペドロ。イエスから天国の鍵を預かったイエスの大事な一番弟子です。右手に鍵を持っている姿で描かれています。

イエスの右手は、聖ペドロの方を指差しています。まるで、天国の鍵を開けてオルガス伯爵の魂を天国へ迎えるようにと合図をしているようです。

聖母マリアの足元には天使がいます。この天使は赤ちゃんのような白っぽい物を抱えています。これが、実は亡くなったオルガス伯爵の魂です。

生まれ落ちた時に通った母親の産道を、今度は逆に登って、母親の胎内に戻っていくようなイメージで、地上界から天上界へ、そこでは聖母マリアがまず迎え入れてくれて、死は終わりではなく、永遠の世界への始まりになっているのです。

●他の登場人物 洗礼者ヨハネの後ろには、12使徒でスペインの国の守護聖人でもある聖ヤコブ、その後ろは聖パブロ、その数人後ろの黄色い服の人は、聖ペドロの後継者で16世紀この絵が描かれた当時のローマ法王シクストゥス5世、その後ろには聖トマス(サント・トメ)の姿

●黄色い服の ローマ法王シクストゥス5世 と聖パブロの間に、他の人より顔色が明るい金髪(白髪に見える)の人もいます。この人は、当時のスぺイン国王フェリペ2世。フェリペ2世は、反宗教改革における、いちばんにカトリック擁護の立場をとっていた王様。

当時まだ存命中であった、ローマ法王シクストゥス5世と、同じく存命中のフェリペ2世が天国に描かれているのもおもしろい表現です。

地上界のお葬式に関しては、契約時にかなり細かいところまで依頼主の希望を伝えたようですが、天上界は、大雑把にしか決められていませんでした。

そのおかげで、エル・グレコの画家としての技量を最大限に発揮することが出来たこの作品。

当時のスペインカトリックにおいて大事だった図像学の知識や、カトリックの擁護に力を入れた人たちの姿を地上界ではなく、天上界に描いたり、また、イコン画だけではなく、ベネチア派の色彩表現や、体を不自然に引き伸ばしたマニエリスムの手法なども見ることが出来、画家エル・グレコの集大成ともいえるものが、特にこの天上界のシーンに強く表現されています。

見落としがちなメッセージ

グレコの子供ホルヘ・マスエル、この子が生まれたのは1578年、この絵の中では10歳くらいの頃の息子の姿をグレコは描いています。

グレコは作品にサインを残す際、ドメニコ・テオトコプーロスという本名と、絵が完成した年を残しています。

この【オルガス伯爵の埋葬】では、サインはグレコの子供の膝の上にある白い布に、絵の完成年ではなく、1578年、子供の誕生年が記されています。

そして、もうひとつのメッセージは、グレコの子供が指をさしている、方向。

片方は、主人公のオルガス伯爵と奇跡のお葬式のシーンはここですよと、中央の方向を指しています。

もう片方は下向き、この下に何があるかというと、この絵の下、グレコの子供が指をさすところにオルガス伯爵のお墓があるのです。

お墓があるのは、伯爵の遺言通り、教会内の隅っこ、今は絵を見るために教会内にそのスペースが設けられていますが、かつては、ひっそりと壁側の片隅にあり、この絵がそのお墓の場所を暗示していました。

まとめ

地上界から天上界への伯爵の魂の昇天、下から上に向かって、絵の中だけではなく、実際のお墓も絵の前にあって、お墓から、天上界まですべてを含めてこの作品は完結です。

サント・トメ教会は時間帯によって、長い列ができることもありますが(長くても15分前後)、トレドに行かれたら必見の作品です。